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わたしが中学生のときに父が亡くなり、母は女手一つで育ててくれました。

高校は地元の県立高校でしたが、大学はどーーーしても立命館大学に行きたくて、無理してお願いして、行かせてもらいました。

当時は金額なんてよくわからなかったけど、今思えば、よく行かせてもらえたなぁと思います。





大学に入って驚いたことは、お金持ちの子が多かったことでした。

お小遣いもたくさんもらっているし、下宿のアパートは広くて綺麗だし、ブランドものを持っているし…

田舎から出たわたしには衝撃で、「これが経済格差か!」と思ったほどです(笑)

だって、わたしは本を買うのもいっぱいいっぱいで、頑張って働いてくれてる母にお小遣いちょうだいなんて言えないし、大学には本を借りに行っていたくらいですから!





社会人になって出世組や役員を見ると、優秀な人ばかり。

有名大学を出ていたり、海外留学で語学も堪能だったりして、わたしには出来ないことを軽々やってしまう。

そんな人たちを見てわたしは、うらやましくも、悔しいなと思っていました。

世の中で活躍するのは、所詮、育ちが良いお金持ちか頭の良い人なの?

わたしには無理だ、と、拗ねていたんですね。





たくさんの本を読んでも、有名な人はみな、この条件に当てはまっている。

でも、きっと自分も輝ける場所があるはずだ!

そう思って、希望を捨てずにいつも情報収集をしていました。




そうして今、少しずつなりたい自分になれて思うことは、才能は関係ないんだなということ。

才能は、努力し続けた先に道になった結果であって、初めから才能があるなんて、なかなかないはずです。

才能とは「自分が心ひかれるものを追求した結果、振り返ると抜きん出ていた能力」だと思います。

はじめから才能がある人なんていないんです。


(サイババとか釈迦とかは除く)

わたしは文章が得意だったり速度が得意ですが、たぶんそれは図書館で山盛り借りた本を、期限までに読まなきゃいけなかったから身についたのだと思います(笑)




父はすごく頭の良い人で、いつもいろんなことを教えてくれました。

でも貧乏で貧乏で、裏山でとれたバッタを焼いて食べてたって言ってたし(笑)学歴どころかたぶん高校も出てない…

母は努力家で、父が亡くなり仕事を始めて、パートから今は管理職になっています。





そんな2人を見て来て、「不断の努力で人生は変えられるんだ」というのはいつも思います。

才能だ、家庭が裕福だ、だから成功したんだと拗ねてしまうのは簡単です。

でも要は、「自分はどうしたいか」なんだと思います。

だからこそ拗ねからさっさと卒業して、素直に自分の気持ちを見つめて、進んでいくべきなのです。

羨ましいと他にエネルギーを注がず、自分の幸せにどんよくになりませんか。

才能なんて関係ありません。

努力と、勇気なのです。

そして1番大事なのは、まっすぐに自分の人生を見て凛として生きる高潔さなのかもしれません。