インスピレーションをあなたに差し上げます。
日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、
ただ一枚のガラス板で仕切られている。
このガラスは、始めから曇っていることもある。
生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。
二つの世界の間の通路としては、通例、
ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。
しかし、始終ふたつの世界に出入していると、
この穴はだんだん大きくなる。
しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、
自然にだんだん狭くなって来る。
あるひとは、初めからこの穴の存在を知らないか、
また知っていても別にそれを捜そうともしない。
それは、ガラスが曇っていて、反対の側が見えないためか、
あるいは・・・・・・あまりに忙しいために。
穴を見つけても通れない人もある。
それは、あまりからだが肥り過ぎているために・・・・・・。
しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏をしたりしてやせたために、
通り抜けられるようになることはある。
まれに、きわめてまれに、
天の炎を取って来てこの境界のガラス板をすっかり溶かしてしまう人がある。
(寺田寅彦全集 第十一巻より)