親戚の葬儀にいってびっくりしたこと | ベアトリーチェ かづこ ヴィクトリアの目覚めのタロット

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先日、叔父(父の弟)が亡くなって

普段まったくご無沙汰している親族ですが

家も近いのと

日程も空いていたので参列しました。

 

親戚といえども関係性はさまざまで

亡くなったことも後から知ったなんてこともしょっちゅう。

 

そもそも顔をみたことも話したこともない

なんてことも多々あり

 

「お互い様だから・・」とみな強制はしません。。

 

父は自分の兄弟を大切にしていたのですが

私の実母や再婚した義母は

しっくりこないというか

蚊帳の外だったようで折り合いが悪く

小さい頃からいとこの付き合いもあまりありません。

 

うちだけ蚊帳の外、はみ出し者で

ほかの親戚は仲良かったみたいなので

ますます疎遠になります。

 

(子供ってなんとなく母親の付属品みたいなものだから)

 

タロットコンステレーションをしていて

善人悪人、性格の善し悪しを問わず

みな同じシステムの一員である

と考えるようになり

生きてるうちに機会があれば

繋がっておきたいと思うようになりました。

 

行ってみてびっくり!!

 

この叔父は父と顔がそっくりで

よく行き来をしていました。

 

でもいとこは全く知りません。

 

喪主のいとこが次男の就職予定の会社に勤めていて

なんと別の叔父の方のいとこも同じ会社に長年勤めていたのです。

 

結構血縁的には近いのに話したこともほぼない。

 

叔父が亡くならなければ

ずっと知らずにいたかもしれません。

 

叔母からも、私の知らない

祖父母の話(父方の祖父母は全く記憶にない)や

昔話を聞かされて

若い頃は貧しかったけど

晩年は地域の役に立って大臣から表彰もされたのよ、とか。

 

はみ出し者の親だから

一緒に扱われるのがイヤで

付き合いは避けていましたが

ちょっと嬉しいな、と思いました。

 

 

帰るころに

ある老婦人と娘さんとおぼしき方から

「もしかしてかづこちゃん??」

と声をかけられました。

 

父方の親族ではなく

叔父の連れ合いの親族の席にいた方です。

 

なんと亡くなった私の実母の方の親戚でした。

娘さんと私は「またいとこ」に当たります。

 

年が近いので小さい頃よく遊びに行かせてもらっていました。

 

非常識ではみ出し者っぽいのうちの親と

お金持ちでアットホームなこの親戚の家のギャップが

幼心に居心地悪く、実母も亡くなり

全く疎遠になっていました。

 

はみ出し者、変わり者の娘である私として

もう親戚と関わりたくなかったのです。

一緒にされるのがイヤだったのです。

 

でもこのおばさんから嫌な扱いを受けたことは

一度もありませんでした。

 

なぜここで会ったかというと

私の父と母の縁談を繋いだのは

この人だったからなのドキドキ

 

この人のご主人は、亡くなった叔父の奥さんの兄弟だったんです。

 

亡くなった叔父と奥さん(健在)がそれぞれ独り身の親族を紹介したわけ。

 

つまり、この最後に話しかけてくれた老婦人がいなければ

うちの両親は結婚してないし

私も生まれていないことになります。

 

そのことに気づいて

私はなんて今まで失礼なことをして来たのだろうと思いました。

 

この老婦人は「かづこちゃんどうしているかな?今日くるかな。会えるかな?と思っていた」と言ってました。

 

なんでそんなに私のことを??

私はすっかり忘れていたのに・・。

 

と思いましたが

そりゃそうですね。

 

自分が紹介した者同士

途中から仲悪くなって

別居した、亡くなった、再婚した。

どうやらあまり幸せそうではない。

 

もしかしたら親戚のなかで

責任を感じていたかもしれません。

 

子供はどうしているんだろう?って。

 

そっか、いろいろな人の力添えがあって

今の私はいるんだな~とあらためて

タロットコンステレーションの意味がわかってきました。

 

この老婦人からは

「あなたのおばあちゃんが嫁いだ○○家(私の旧姓)は、お金持ちですごい家だったと聞いてる」というんです。

 

そんな片鱗もなかったですけど、と言ったら

 

「戦争でみんななくなっちゃったから。」

 

そうなのか~。

 

私の祖父母の家は東大の近くで酒屋を営んでいたけど

祖父が酒癖が悪く苦労した話しか聞いていません。

 

その祖父も養子で

私の父も養子でなんとかお家を存続させようと思ったのは

それなりの基盤を守ろうとしたから。

 

父は○○家から戸籍を抜いてしまい

私も嫁に行ったので私の代で終わっちゃいましたけど。

 

大好きで仲良しの実家じゃないから

私は実家のことを話すのは大嫌いだったのですが

今度、ルーツを調べてみようかな、とふと思いました。

 

大嫌いな実家が少し好きになれたから。

 

親世代が亡くなると

面倒な親戚付き合いも子供世代がしないといけません。

 

でもいろいろな社会経験をして

一癖も二癖もある老人の相手を日々している

アラフィフ、アラカン世代は結構自由で

話がわかる。

 

みな口々に

「血が繋がってるのだからさ、何かあったときくらい連絡とろうね」と言ってました。

 

亡くなった叔父もこうやって命を最後まで使って

次世代を繋いでくれたのかな~。

 

黙祷。