娘は自分の体力の限界を感じているため、体育祭は見学すると決めた。
翌朝、担任の先生にお電話をし、体育祭の見学をお願いした。
先生は娘と直接話しがしたいので、放課後お話しをしてくださるとおっしゃった。
そして、娘が帰宅。
先生とのお話し合いがどうなったのか気になったが、ここは「娘のペースに寄り添おう」と、娘からの報告を待った。
これも私の素晴らしい変化だ。
自分が安心したいから、自分の欲望を満たすために娘に聴く、という行動は私のエゴが引き起こしていること。
完全なるコントロール。
そして夕食後、娘からの報告。
私の予想では、娘は摂食障害のことを先生に知られてしまったことで嫌な気持ちになっているだろうなぁと感じていた。
摂食障害は心が苦しくなっちゃっている。
だから、目に見えない。
だから、他人からの理解を得難いんだよね。
「食べれば良いだけじゃん!」とか
「何でも食べて良いなんて羨ましすぎる!」とか
「ただの甘えだろ!」とかね。
だから、私は担任の先生にもきっと理解して頂けないのだろうなぁと「勝手に思い込んで」いたんだよね。(担任の先生は30代前半の男性です)
そしたらさ、先生は娘の状態をかなり深く理解してくださったんだ。
それはね、先生の奥様が今、摂食障害で苦しんでおられるからだったんだ。
だから、先生は「食べることが怖い」「食べたくても脳が食べることを拒否する」ことを、ある程度、理解したおられた。
ある程度、と書いた理由は、私も娘の拒食脳について完全に理解することは不可能だからだ。
摂食障害は、そうでない人には決して理解してあげられない世界だ。
先生は娘に…
ゆっくり、自分のペースで良い。
自分や、他の先生方が、あなたのことをしっかり見ているから安心して学校に来て大丈夫だ。
自分に話しづらいのなら、女の先生に聴いてもらえるようにする。
と、お話しくださったそうだ。
身近に摂食障害の方がおられる方が、担任の先生であること。
これは、本当に奇跡だと感じるんだ。
娘にも私にとっても、学校に大人の味方がいてくださることは本当に心強い。
私は娘を安心して学校に送り出せる。
心強い味方を得た私は、心がとても軽くなった。
すると、やはり同時に娘の心も軽くなるんだよね。不思議なもんだ…。
娘はね、今の体力では日常生活の質が落ちているので、少しずつ食事量を上げていく!と宣言したんだ。
これはね、ずっと考えていたそうなのだが、ずっと覚悟が決められなかったんだって。
でもこの時、やっと覚悟が決まったんだって。
自分の在り方を意識して、少しづつ変えていくとさ、世界がおもしろいように変わっていくんだ。
私は身をもって感じたんだよね。
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今、心が苦しくお感じになっておられるお母様へ。
娘へのコントロールを手放すことは、私が自分の心を取り戻すために、初期の頃始めたことです。
これは、とても価値のある行動なので、ぜひともやっていただきたいです。
今日は長くなってしまいますので、明日、こちらのことについて詳しく書かせて頂きます。
宜しくお願い致します。
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