母親である私が目を背けたくなるほど痩せてしまった娘。
お出掛けをすれば、通行人や電車の向かいに座った方がギョッとした表情をするんだよね。
そして、必ずその後、母親である私の顔を確認するんだ。(と、当時は思い込んでいた)
「この母親は、娘をこんな酷い状態にしたダメな母親だ。」って確認されているようで、とても辛かったことを覚えている。
だからね、その時の私は完全に人間不信。
誰もが私のことを「娘を拒食症にまで追い込んだダメな母親」だと思って見ている、と思い込んでいたから。
そしてね、これは書くことに勇気がいるのだが…
こんなふうに他人から「ダメな母親」だと非難されるのはあなたのせいだ!って娘を憎む感情が在ったことは確か。
でもね、娘が拒食症になったのは誰のせいでもない。
娘の身体を使って、私の生きづらさを教えてくれた尊い出来事なんだ。
だって、娘の摂食障害を経験したからこそ、私も娘も人生の素晴らしさに気づけたのだから。
どんな地獄のような出来事にだって、必ず意味が在る。
そして、その出来事は私にとって最善の結果をもたらす素晴らしい贈り物なのだ。
全ての出来事は、ただ起きているだけ。
その出来事をどう捉えるかは、私たちの在り方次第。
まぁ、当時の私はこんなふうに物事を捉えてはいなかったけれど…。
ただ、少しずつ少しずつ、私の心、娘の心に豊かさが芽生えてきたことは確か。
でもね、そのすき間を狙って、新たなる課題がブチ込まれきたんだ。
人生って、すごいよね。