娘の状態がどうであれ、私は自分の人生を少しでも楽しもう!そう決意した。


だって、私の1日がどのような1日になるのかは、私の捉え方で決まるから。


娘の状態を気に掛けてウジウジ過ごすのも、今日は何食べようかなぁとウキウキして過ごすのも、同じ1日。


だったら、誰だって楽しい1日を選びますよね。


娘の状態は気に掛かる。

でも、その中で自分が「ホッ」とすることを何か一つでもしよう!と覚悟した。


何か始めよう。

始めれば何か変わるかも。
やってみればわかる。

そう自分を奮い立たせました。

そして、やっとの想いで始めたのがウォーキングだった。

ウォーキングは娘が学校に行っている間に、午前・午後それぞれ40分程度歩いた。

初めは、歩いている間も娘のことばかりを考え、絶望の気持ちがいっぱいだった。
「こんなことやっても意味在るのかな?」とかね。

でも、時間がたつにつれて空の美しさや、花の可憐さ、鳥の可愛らしさに目が行くようになった。

きっと、これは人間の本能なのかな。

ときに、自然の美しさに涙したり…
娘はできていることがたくさん在るじゃん…
私はよくやってえらいじゃん…
という想いが出てきたり。

ときに、道行く方と挨拶をして胸が温かくなったり…
子どもの無邪気さにくすっとなったり…
お年寄りの可愛らしさに涙がでちゃったり…

これは後の学びで知ったのだが、ウォーキングのように身体を動かすことで「幸せ」を感じるホルモンが出るそうだ。

このウォーキングによって、私の意識改革は大きく進んだと感じる。

娘の状態が不安で苦しくなったときは、深夜にこっそり家を出て、泣きながら歩いたなぁ…
苦しくて眠れなくて、どうしようもなくなって、明け方泣きながら歩いたりしたなぁ…
真冬で身体が凍えそうだけど、流れてくる涙は熱くって…

歩くとね、少し心が晴れるんだよね。
あぁ、娘は生きているじゃん…とか
私がこうして歩いて、自分と向き合ってすごいじゃん…とかね。
そうゆう感情が湧いてくるんだ。

これは私の場合なのですが、私は娘にウォーキングをしている姿を見せないように気をつけていました。

理由は、私が運動をすると娘が「私ももっと運動をしなければならない!」という強迫観念を抱いてしまう可能性が在ると感じたからです。

実際、摂食障害の子は「運動をしてカロリー消費をしなければ!」という運動強迫の観念を抱いていることが多いそうです。

娘もそうでした。
二階の自室から、トントントンと足踏みをしている音や、ドスンドスンと何かをしている音が頻繁に聞こえていましたから…。

あれは怖かったなぁ…。
「これ以上カロリーを消費しないで!お願い!」と、一人手を合わせて神様にお願いしてたなぁ。

ですから、娘には気づかれないように、平日は学校に行っているとき、土日は深夜、早朝に行っていました。

もし、今苦しんでおられるお母様がいらしたら、ご自分のためにウォーキングをなさってみることを私はおすすめしたいです。

私は自分と向き合う時間。

娘はテスト勉強&YouTube編集。

一緒に自分のための時間を過ごしました♡

とても貴重な1日でした♡

母の日に、娘から心のこもった素敵なお手紙をもらいました♡幸せです♡♡♡