1967年東京生まれ、東京育ち
3人弟妹の長女
7年間は一人っ子として、
天真爛漫で子供らしく
のびのびと過ごす。

小学校の時は、答えが分からなくても
手をあげるような子供。
外で遊ぶのが大好き。

担任の先生に毎日日記をかかされていたのが
きっかけで、文章を書くのが好きになり、
作文コンクールで賞をとったこともありました。


幸せで充実していた小学校から中学に行くと、
世界が一変して、
私の暗ーい
青春時代の始まりでした。


とにかく馴染めない。
突然色気づいて、
アイドルの話をして
キャーキャーいって
集団行動する女子に
ついていけない。
かろうじて小学校から仲の良い友達がそばにいてくれたおかげで
なんとか生き延びることができました。

が、
高校では誰一人友達がいない。
話があわない。
どんどん暗くなる。
友達ができない。
更に暗くなる。
人とうまく話せなくなる。

という負のループにはまっていました。


それでもなんとか大学に進学
みな彼氏ができたり青春を謳歌する中で
私は暗闇の中で、気力もなく、自己嫌悪にまみれて
生きながらえていましたが、どんどん鬱のような状態になり、
現実感がなく、
とうとう
自殺することを考え始めました。

まだメンタルクリニックなどは一般的でない時代でした。
自己受容なんて言葉もなかった。

そんな中であることがきっかけで、

自分自身でこの状況を脱する以外に道はないと悟った私は

自分である方法を思いつき
毎日毎日それをやって過ごしました。

かなりつらい時期でしたが、毎日毎日自分を鼓舞し
本当に嫌なら死ねばいい。死ぬという道がのこされている
と自分に言い続けていました。

そのうちに鬱も段々とよくなってきて大学3年の時に

前から行きたかった1年のアメリカ留学をする決意をします。

アメリカで、自分はそのままでいいんだと開眼。
自殺したいとは思わなくなりました。

日本に帰国して、就職活動を得て、無事システムエンジニアとして

日本のメーカに就職。バブル真っ盛りでした。

8年務めて、得意な英語を生かして外資系のソフトウエアの会社に転職。

そこからは、収入がどんどんあがり、

タイやアメリカに出張したり滞在したり

バリキャリ的な日々でした。


それでも満たされることはなく、自分の本当にやりたいことは何なんだろう。

と探し求めてもみつからない日々。
仕事のストレスを飲食や買い物で発散する毎日
なにか人参をぶら下げればやる気がでるだろうと、タワマンを購入。

家族全員に、なにかしらお金をだして大黒柱のようになっていました。

その後何度かの転職を経て、コンサルタントになるも
優秀な周りと自分を比較して自分にダメ出しをするつらい日々でした。

あと5年で定年。定年したら起業しようと学びを始めたころ

大阪と東京をいったりきたりして
あるプロジェクトに参加していた私は、

突然

適応障害
 
の診断を受けて
ドクターストップがかかり働けなくなりました。

4カ月の有給の病気休暇の終わりが近づくにつれ、
お金が無くなる恐怖で
水道の蛇口もひねれないほどのノイローゼになってしまいました。

そんな中で友達に教えてもらった山本芽生さんの動画を見つけ、
ノイローゼから脱出。
山本芽生のもとで起業することを決意
いわゆるゼロイチで起業しています。