「可哀そうな人」でい続けたいのか、

 

自分の人生を生きたいのか。

 

 

 

 

▶けいこの自己紹介

 

 

 

 

 

 

昔の知人にこんな人がいた。

 

 

 

 

 

以前、私がこういう仕事を始めたばかりの頃。

 

今と同じように「自分を生きる」ということをブログに書いていたのだけど、

 

その頃は今よりも“相手に寄り添う”という感じが強かった。

 

 

 

 

で、当時はブログをフェイスブックにもアップしていたのだけど、ある日、何年も連絡をとっていない知人からメッセージがきた。

 

その人は以前同じ職場で働いていた人で、そんなに親しいわけではなかったけど、女性が少ない職場で同じ歳ということでSNSでつながっていた。

 

 

 

「最近、あなたのブログにすごく感じるところがあるから、会わない?」

 

 

 

私が伝えたことをブログから受け取ってもらえているのかな?と思うと嬉しかったし、

 

サービスを出し始めたばかりの頃だったので、「じゃあ個人セッションの無料モニターやらない?」とお誘いして会うことになった。

 

 

 

ところが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルのラウンジで待ち合わせをして7,8年ぶりくらいに顔を合わせたのだけど、会ってすぐに彼女の言葉に違和感を感じた。

 

 

 

「鋼のメンタルつくりたーい♪」

「ストレス耐性あげたーい♪」

 

 

 

え?私のブログ、ほんとに読んでた?

 

そんなこと全く書いてない、むしろ真逆のような事をかいていた。

 

 

 

この人は私のブログのどこに感じるものがあったのだろう?

 

 

 

そんなことを思いながら話し始めた。

 

 

 

 

 

 

「上司がこんなことしてくるムキー

「同僚がすごく嫌ムキー

「旦那がこんなこと言ってくるムキー

 

 

 

 

 

彼女の言葉を鵜吞みにすれば、それは確かにひどい状況で、

 

職場の様子は私も知っているし、彼女の旦那さんもちらっと知っている。

 

そういうこともあるかもしれない、と思った。

 

 

 

 

で、当時の私は「まず寄り添う」という信条だったので、まずは彼女の話をそのまま受け入れて、

 

 

 

それは相手の領域だよ。

あなたが悪いわけではないよ。

対応としてはこんなことができるよ。

あなたはどうしたい?

 

 

 

というような話をしていった。

 

 

 

そうすると、

 

「そうかなぁ、そうだよね」と状況を変える方向で話しが進むのだけど、

 

最後の最後に

 

 

 

「でも私にもダメなところがあるよね!私も我慢しなきゃだよね♪」

 

 

 

と言って振出しに戻る。

 

 

 

 

 

我慢とか自己犠牲が癖になっているとすぐに考えが変えられないことはよくある。

 

だから、上司のこと、同僚のこと、旦那のこと、と話題が変わる度にさっきの会話を繰り返した。

 

 

 

 

でもやっぱり、最後に自分で振出しに戻すの。

 

 

 

 

うーん、なんでだろう?

どうしてそう考えちゃうんだろう?

どう言えば伝わるんだろう?

 

 

話しながら頭を抱えたのだけど、

 

そのやり取りが4回目くらいになって、私、ようやく気がついた。

 

 

 

 

 

 

あっ、この人、

変わりたくないんだ。

 

 

辛いね。

大変だね。

あなたは悪くないよ。

 

 

 

 

そう言ってもらいたいだけなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女が私のブログから感じたもの、それは

 

「この人だったら辛いね、大変だね、って言ってくれそう♡」

 

きっと、こういうことだったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

私は、彼女からすごく大きなことを学びました。

 

 

 

 

 

こういう人に寄り添ってはいけない。

それは愛じゃない。

 

 

 

 

ということ。

 

 

 

「可哀そう」と言ってほしいだけの人に寄り添って慰めの言葉をかけることは、もっともっと深みにはまらせるだけ。

 

それは愛じゃないなと。

 

 

 

 

もちろん、この時モニターに誘ったのは私で、彼女は「変わりたい」と思っていないわけだから、無理やり変えることはしない。

 

 

彼女は好きで「悲劇のヒロイン」のような生き方をしていて、

 

それが彼女にとっての幸せであり、楽しみでもあり、彼女がそれを選択するのは自由なのだ。

 

 

 

 

でも、

 

その選択をしている限り、ずっと“被害者”でい続けるわけだから、どうやったって人生は変わらない。

 

 

 

 

それに手を貸すのは、私の望むところではないなと。

 

 

 

 

生き方に正しいとか間違っているとかはないので、

 

本人が望んでそういう生き方をするなら、それでいいと思う。

 

 

 

でももし、

本気で変わりたい、という人が私のところに来たら、

 

 

自分の人生を生きる、そのお手伝いをするとしたら

 

 

 

厳しい言葉に聞こえたとしても、伝えるべきことは伝える。

 

それが愛だ。

 

 

 

 

と私は思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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