思考や思想の裏にあるもの | 虚飾を捨てて心に翼を

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生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

人それぞれの心の奥に本人も意識していない強い想いがある。

感性のセンサーで人それぞれに知識を引き寄せる。

昔から今に至る様々な思想も

人それぞれの思考も

人それぞれの現実の受け取り方も

心の奥の強い想いが人それぞれだから

 

思考や思想という理屈は、本来の目的から離れて人を縛ることもある。

それは時に、とんでもない方向に人を導く。

そして、争いや孤立、破壊、破滅に至ることもある。

 

信念が生みだされるには、本人も気づいていない裏の目的があるように思う。

私を例にとってみる。

 

『食物連鎖』という自然界の根底にある法則から、どうせこの世は争いが当然な非情な世界だという絶望的な想いがある。

 

しかもただ死ぬだけではない。

食べられることは想像を絶する恐怖と想像を絶する痛みを伴う。

こんな世界を作ったものは悪魔としか思えない。

 

それではこの思考の裏の目的とは何か?

 

この信念の裏に隠れているものを分析(ってほど大袈裟なもんじゃありませんが(^_^;))しようと思います。

 

もし神がいるなら、神をたたえることなんかできない。

恐怖し、憎む。

当然感謝の念を感じることなどできない。

昔からなぜか感謝の念がなかった自分とリンクする。

 

それでいて神がいることを前提とした信念のようでもある。

神という概念に対する反発?

宗教に対する反発?

習わしに対する反発?

権威に対する反発?

 

神のせいにしているが、同時に他の動物を食べて生きている自分も否定してしまっている。

罪悪感がある。

意識の土台が『絶望』『諦め』になっている。

 

さらに、この話は人を不快にさせると思っている。

自分が最低の人間のように思える。

”自分は嫌われ者”という想いとリンクする。

 

過去に不快な顔をされた様々な経験が、トラウマとなって「また嫌われた」という感覚を味わうのが怖い。

そんなことを認めるのは不面目なので、無意識に蓋をして、怖い理由が自分でもわからない。

 

別の面から見てみます。

食物連鎖は自分がなんとかできる問題ではない=『諦め』

現状打破できない自分の諦めとリンクする。

 

 

例えば、無意識の強い想いが『希望』であったらどんな思考になるだろうか?

 

食物連鎖は広大な宇宙の中のちっぽけな地球でのこと

宇宙全体から見ればほんの一部だから、それで宇宙の大いなる意志が悪魔だと判断することなどできない。

 

解決方法がないものは受け入れるしかない。

その上で最善を目指すしかない。

でないと『希望』から遠ざかってしまうことを無意識でわかっている。

 

宇宙に意志があるとすればちっぽけな人間には計り知れない。

人間には全てを知ることなどできない。

 

意識を闇にフォーカスしても幸福になれないことを知っている。

光にフォーカスして光に向かう。

闇があることを受け止め、だからこそ光に感謝する。

 

 

自分が生きている世界のイメージとその世界で生きている自分のイメージは、自分の意識の中だけにある。

同じ現実でもフォーカスするものが違うことにより、希望を持つ人もあれば絶望する人もいる。

 

 

どこにフォーカスするか?

当たり前のことだが、知っていることだけに意識はフォーカスされる。

フォーカスするのは、心の奥にある想いを形にするため

心の奥にある何かを形にするための情報集めと思考の構築

そのセンサーは感性だが、私の場合、無意識のうちに恐怖で行動の制限を強制される。

できそうもないと思うのは恐怖でできないから

恐怖から来る思考回路

 

 

少なくとも私の場合の思考は、『絶望』『諦め』という想いを形にするため、そんな現実を作れるように、無意識で組み立てたのではないかと今は考えています。