お宮参りとお食い初めに出席する | 虚飾を捨てて心に翼を

虚飾を捨てて心に翼を

生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

先日甥の赤ちゃんのお宮参りと食い初めに出席しました。

とても和やかな集まりだったのですが、人間として大切なものを会得できなかった私の視点から見ることで私のかかえる奇妙な問題を解説します。

 

私は、嫌いなわけでもないのに、兄や甥、親戚の顔もどういう顔をして見たらいいか体得できていません。

 

すでに甥や甥の配偶者に、変な人、困った人、気持ち悪い人だとバレているため、目を合わせないようにする必要があります。それは相手側も同じようです。なのでどう相手を見ていいか悩みます。

まだバレていないのではという僅かな希望も持っていたので、同行した父の影からお辞儀をしてみましたが、私の方は見てくれませんでした。

すでに甥の嫁とその家族全員に「気持ち悪い人」と思われているみたいです。

精一杯やっているのにそうなることが、地味に堪えます。

 

引き続きお食い初めに出席しました。

そこで想定外の事態が起こりました。

赤ちゃんのお兄ちゃん2歳が、おもちゃを持ってはしゃぎ始めたのです。

見ているだけだったら今思い出しても楽しい微笑ましい光景だったのですが、その場にいた私にとっては恐怖の時間でした。

2歳兄が縦横無尽に駆け回り、色んな人のところで立ち止まってはおどけるたびに、和やかな笑いが巻き起こりました。

そういう席で緊張して顔が引きつる私は、私のところにきたら、どう対応しよう、私のせいで和やかな雰囲気が台無しになると思い、気が気ではありませんでした。人数がそう多くないので高確率な恐怖です。

子供と目を合わさないようにして恐怖で固まっていました。

その様子が傍目に変に見えると思うと、さらに固まってしまいます。

その思いを2歳兄は察したのか、幸い私のところでは立ち止まりませんでした。

 

私にとっては新たなトラウマとなった出来事でした。

 

 

ところでこれって、後日気付きましたが心理学でいうところの「投影」になっているようです。

どんな顔で相手をみていいかわからない→そんな異常な自分を見られるのが怖い→こっちを見ないでくれと願う→(以心伝心で)人に顔を背けられる→傷つく

無意識に自分が思っていることを相手がするように仕向けているようです。

これで解決とはいきませんが、大きな発見と言えるでしょう。