古くからの慣習や規則正しさや規律の大切さを知る | 虚飾を捨てて心に翼を

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生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

8月5日のことですが、いつになく体がシャキッとしませんでした。

体に芯が入っていない感じで、力が入りませんでした。

何とはなしに腕を大きく振ってその場で行進してみました。

少しシャキッとしてきた感じがしました。

 

そういえば「シャキッとしなさい」と、昔よく先生に言われたのを思い出しました。

それを覚えているということは、その言葉に反発しながらも、無意識で問題意識として持っていたのだと思います。

 

自分では心外でしたが、行進=規律=押しつけられたものというイメージに、反発した結果、無意識に普段からダラけるようにしていたのかもしれません。

そして現在に至ります。

 

私は規則正しさや古くからの慣習に反発がありました。

 

規則正しさや慣習は束縛

堅苦しさ

息が詰まる

大して意味がない

 

 

今ようやく規則正しさの大きな意味に気づきました。

それは繰り返しにより強さを作ること

信念や自信を作ること

 

繰り返しによる上達洗練

繰り返しによる安心

 

 

なぜ規則正しいのが嫌いだったのか。

そのくせなぜ問題意識をもっていたのか。

 

息苦しい。自由がいい。

自分を制限される気がする。

 

でも社会にはたくさん規則や慣習があって守らなければならない。

守らないものは社会から排除される。

はみ出したものは社会から白い目で見られる。

 

だから無意識では、恐怖からくる問題意識を持っている。

葛藤がある。

でも折れるのは嫌だ。

 

だから正当化しなければいけない。

 

規則を悪者にする必要がある。

 

規則は人間を縛る、自由を奪う、人間をロボットのようにする。

規則は建前を生む。

それは支配、理不尽な力

人間として大切なものを制限される気がする。

 

 

逆らえば逆らうほど、同時に不安も高まる。

あらゆる国であれ組織であれ、規則や掟のない世界はない。

自然界にも厳しい法則がある。

宇宙にも厳粛な法則がある。

 

その世界に属するとはその世界に従うこと

 

規則のもう一つの側面

それは安全安心です。

自然の法則に従う限り安心できる。

集団の規則に従う限り安心できる。

規則に従えば守られる。(これが規則の目的だと思う。)

 

まずは、その世界の慣習に従うことが、意識していなくても知らず知らずその世界で生きる足元を作る。

繰り返しにより、それが当たり前という意識を作り無意識に定着させる。

人は古来から当たり前のように自然にそうしてきたのだと思う。

その世界の慣習を覚え、馴染むことが自分の中に自信と安心という土台を作る。

 

個性や自己主張をしたり、別の世界に飛び込むのは土台ができてからのこと。

 

最初に戻りますが、シャキッと(行進に限らず)することで、心の強さにもつながるのだと思います。

堂々とすることを偉そうにすることと混同して、そんな簡単なことにも気付いていませんでした。

 

 

注)慣習や規則正しさや規律を混同していることに自分でも驚きますが、私の中で『押しつけられたもの』『自由を奪うもの』という共通したイメージがありました。