私は、
自信ありげな人にへりくだられると、悪い気はしません。
自分を卑下している人にへりくだられると、ついつい軽く見てしまいます。
口答えしないと、人からどんどん嫌なことを言われます。
うつむいていると、周りの人はじろじろ見てきます。
その時パッと顔を上げると、周りの人はパッと違うところを見ます(笑)。
申し訳なさそうに頼まれると、不思議と価値のないことに思えて気乗りしません。
自信を持って頼まれると、不思議と価値のあることに思えて乗り気になります。
場違いだなと小さくなっていると、周りの人が、「なんでここにいるの?場違いですよ」と言う目で見てきます。
堂々としていると、なんとなくその場に溶け込みます。
小さな声で弱々しく言うと、イライラされたりナメられたりします。
大きな声ではっきり意思表示をしたら、相手と同じ土俵に乗れます。
目をそらすとナメられます。
ちょっとぐらいいいかと思い譲歩すると、次はさらに譲歩させられます。
病人扱いされると病人らしくなります。
問題のある人として扱われたら、問題のある行動をしたくなります。
これらは無意識で行われることが多く、生存欲求やユングの言う共通意識などが関わっているのだと思います。
影響力を持ちたい
負けたくない
という思い
無意識の陣地取りゲームのようなもの
あるいは関わりたくないから、逃げたいという思い
怖すぎるので、ひたすら逃げるのみの場合(笑)
長い間、自己主張することが悪いと思っていました。
自分が***というと、困る人が出てくると思うからです。
だから自分は、全体のことを考え、我慢している。
それなのに、自己主張する人は、なんて自分勝手な人なんだ、と。
自分勝手な人がいることも確かですが(あ、私もだ!)、自分が困ることは言わなければならないのだと思います。
言わなければ相手にわからないからです。
あるいは、たいして困っていないと思われるからです。
実際自分もそうでした。
相手からすると「なんで言ってくれなかった?」ということだったようです。
関係者の全てが、自分の立場から率直に言うことは、必要不可欠なのだと今は思います。
その上で調整する。
そうしないと調整できない。
最初から不公平になってしまう。
自ら不公平な状況を作ってしまう。
我慢するから、対等でない関係ができ、不公平感がたまってしまう。
この世界は元々競争が根底にあるのだと思います。
昔、西式健康法の西氏の本で「拮抗」という言葉を知りました。
体内(例えば自律神経)は、0と0ではなく100と100で互いに押し合ってバランスが取れている(拮抗状態)状態が健康だということです。
これを人間同士に当てはめると、色々な考えの人がいて、なおかつ対等(お互いに負けない元気さを持っている)であるのが健全な状態だと思います。
相手の態度は、自分の態度によって変化する。
相手の態度を変えたかったら、自分の態度を変える。
人を変えることはできないと言われるが、相手の自分に対する態度は変えさせることができる。
相手が変わるのではなく、元々持っていた相手のいいところが、(自分に対しても)引き出されるということ。
相手と嫌な関係ならば、自分も共犯かもしれません。
それは、相手と二人で(共同で)、そういう関係を作ってしまったということ。
人間関係は、まず自分の居場所があって成り立つように思います。
無意識に、生存のための競争本能や、逃避や、そっちがその気ならこっちもと言う気持ちが、複雑に働いているように思います。
相手によって、自分が大きくなったり小さくなったり、自分の弱点や強みに応じて、相手が小さくなったり大きくなったり。
自己主張の強い人が、案外うまくいっているように見えます。
人間関係が拮抗した状態、お互いに元気であること。
対等の健全な関係を築くには、周りに押しつぶされない「元気」が必要です。
「元気さ」の度合いは、結局のところ、どれだけ自分に素直に、自分のやりたいことをやっているか?にかかっていそうです。
日頃我慢している人(私も?)から見ると、一見自分勝手に見えるくらいが、ちょうど良いのかもしれません。