意識の土台だの何だのと、すごい勘違いをしていたのかもしれない。
「前世の心残りが今世の目的を作り今の状況を作った。」
否定はできないし、しない。
それで気持ちがスッキリするのなら。
でも幼少期のことを思い出してみた。
虚しさ?悲しさ?
子供の頃、虚しさや悲しさなどなかった。
あっても一時的なもの
こうなったのは成り行きで
そこに意味などないのかもしれない。
意味を求めようとすると、どのようにもこじつけることができる。
そして、自分で作ったその筋書きに囚われてしまう。
どうにでも解釈できるものなら、そんな筋書きなど無意味だ。
持っているものを持っていないと思い込み、追い続ける。
これこそ「虚しさ」の追体験だ。
思考を事実に変える思い込み
虚しさが心の土台だと思いこみ、それをを変えたいと願うことによって自分が作り出した虚しいストーリーだ。
思い込みが自分をストーリーの中に閉じ込めて出られなくしている。
何が正しいのかはわからない。
私の場合、あくまでああだこうだという推測だ。
それですっきりとした気持ちになって一生懸命になれるのならいいが、「私は虚しさと悲しさが意識の土台に詰まっていて楽しむ素質がない人間だ。」という結論では、悲壮感が半端ないではないか!
事実ではなく推論なのに(笑)。
そうと思えばそう、そうでないと思えばそうでない。
自分にとって役に立つ推論
自分にとって害になる推論
事実は受け止めなければならないが、推論(しかも害になる推論)を受け止めてもしょうがない。
そうか!だから思考には注意が必要なのだ。
私の様な人間は、自分が悪くなる方向に知らず知らず思考が進んでしまう。
まずその傾向を自覚すべきだ。
推論も思考も選べるのだ。
だから、自分にとって害になる推論を土台にしてものを考えてはいけない。
自分にとって役にたつ解が得られないなら、諦めず、一生かかってでも求め続けよう。