この5年間、当事者目線でのブログを書いてきましたが、ひとまず休止することにしました。

 

このブログを書き始めた目的は、

自分を客観的に見つめること

自分の中に閉じ込めていたものを出してすっきりさせること

そしてそれが、誰かの参考になるかもしれないと思ったことなどなどです。

 

でも今のままで続けていたら、自分のために良くないんじゃないかと思うようになりました。

 

私のような人間にとっては自己開示がパラドックスになります。

自分を隠して生きることは苦しい。

人と親しくなるには自己開示が不可欠です(これもここ数年でやっと気づいたことです笑)。

自分が人と親しくなれないのは自己開示ができていないからです。

しかし、自分でも受け入れることのできない自分(自己卑下している)を開示することは、自分を傷つける。

言葉にすることによって自分にグサグサと突き刺さる。

かといって、なりたい理想の自分を言葉にすることは、ハードルを上げることになり、苦しい。

言うことでかえってやりづらくなる。

 

今の自分と理想の自分とのギャップがあまりにも激しいため、理想の自分を思い描く時に、今の自分も肯定することが難しい。

ちょっとうまくできた時は、惨めな自分をなかったかのようにしている自分がいます。

うまくできない時は、惨めな自分にまた直面します。

そうして浮き沈みを繰り返します。

 

当事者目線で書くということは、今の視点に縛り付けられることでもあります。

縛りつけられたら、自分を制限している今の意識から抜けることはできません。

今の自分が書いたものには、自己卑下というマイナスのエネルギーがたくさん詰まっている気がします。

たぶんそれは読む人にも伝わっている気がします。

自分が自己卑下のエネルギーでいっぱいなうちは何をやっても裏目に出ると思います。

 

今まで大きなものが見えていなかったように思います。

自己卑下している限り、感謝したり祝福を受け取るような満ち足りた感覚にはなれないのだと思います。

行動は形ではなく真心

形式が嫌いなはずの私だったのに、不安ばかりが先行して行動に心を込めていなかったと思っています。

自己肯定、感謝や祝福という感覚は、自分が社会に対して受け身ではなく能動的に働きかけなければ得られないのだと思います。

 

 

自分を制限しているもの(=過去の体験からきた恐怖)に向かい合うことは大切ですが、私の場合非公開の方が良いと思いました。

だから有言実行ではなく、心の中で決めてこっそりと(笑)実行することにします。

 

今の意識状態から抜けることができた時にはまたシェアしたいと思います。

今までありがとうございました。

それではみなさん、しばらくの間だけ

 

さようなら、お体に気をつけて~ SEE YOU AGAIN