●彼の訃報に、思い切り泣けたかもしれない。
早山さくらです。
わたしは、彼のことを、とても大好きでした。
彼は、芸人みたいに、いつもおもしろくて、一緒にいると、いつもすごく楽しかった。
わたしは、彼を、1度だって悪く言ったことはありませんでした。だって、悪くなんて思ったことがなかったから。
でも、ある時から、彼は、わたしを憎み始めたようでした。
彼が、辛い思いをしてるのは、わたしの策略があったからだと、思い込んでいたようでした。
彼は、自分の嘘を自分で信じこむ特技がありました。でも、関係の浅い人たちは、そのことを知らない。
自分の嘘を信じる人の言葉は、どんなに矛盾があろうとも、他人に信じ込ませる力をもつ。
彼はわたしから被害を受けたとの妄想を、多くの共通の知人に言いふらしたようだった。
しかも、得意のお笑いで、面白おかしく、茶化しながらだったのだと思う。
わたしを徹底的に悪者にする言い方ではなく、
「さくらさんも悪気があるわけじゃないんだけどさ、でも、◯◯だからさ。しょうがないんすよ。いや、俺は恨んじゃいないっすよ。」
なんて、明るい雰囲気で言えば、聞き手は、彼に対して、「悪事を働き、自分を傷つける人間のことさえも恨まない、人徳者、いい人」との印象をもつ。
彼は被害者。いっぽうで、わたしは、こんなにも人のいい彼に、平気で不利益を被せた加害者となるカラクリ。(彼はその戦術に長けていた。)
彼はいつも、そうやって、誰かを貶めつつ、笑いと同時に人気を得るという方法をとっていた。しかも、落語のように同じ話題をリピートするうちに、洗練されておもしろいネタに変わっていく。
わたしだって、かつて、彼のその話術に、引き込まれていたんです。
そうやって、彼の嘘を、徐々に、信じこまされた人たちは、わたしから距離をおいていきました。
そもそも、多くの人って、事実確認しないまま、信じやすいもの、信じたいものを信じるからね。
(眞子様も、この趣旨のことを、記者会見で繰り返していましたね。)
彼の言い分を信用した人は、彼を信用したかった人。
わたしよりも彼を好きだっただけの話。もしくは、もともと、わたしを苦手だった可能性も大。
ならば、彼の嘘以前の話。もともと、わたしに、人徳がなかった結果とも言えるわけだから、彼だけを恨むのも違う。
当時は、そう理解して、自分の心を鎮めようとしました。(でも、これ自体、間違ってたなと、今は思います)。
でも、なかなか、鎮まったりはしなかった。人に対して疑心暗鬼になってしまって、祟り神になりそうだった。
そんな中でも、わたしを信じてくれた人も少なくなく、なにも言わずに、笑顔で会いに来てくれた。
彼らは、踏み込んで考えることのできる人、もしくは、もう既に、彼のようなタイプに痛い思いをした体験があったのかもしれません。もちろん、もともと、私を好きでいてくれたこともあったでしょう。
色々、噂を聞いてたかも知れないけれど、知っているような素振りも見えたけど、そんな話には触れないで、一緒に楽しい時間を過ごしてくれた人たち。
無口なイケメンさんが、「僕は、さくらさんを信じてますよ」と、それだけを言ってくれたのには、泣けたよな。
今も、感謝しかない。でも、そんな彼ももう、お空に逝ってしまった。
そんな彼らのおかげで、わたしは、少しずつ、自信を取り戻していきました。
それは、10年以上前の、何年間にもわたる話で。
今なら、同じことが起きても、わたしは、もっとうまく立ち回るでしょうし、冤罪を晴らすでしょう。
あんなにやられっぱなしに、ならないし、彼の嘘を信じた人たちを思って、悲しむことなどしないでしょう。
なんなら、その状況ごとを、楽しむことさえできるでしょう。
あらためて思うのですが、あのトラブルもまた、わたしが、こうしてモラハラ解決をメインにしたカウンセラーをするようになった、大きなキッカケのひとつだったんですよね。事実、彼の話術をパクり、今、がんがん、美人さんに教えてるしね、笑。転んでタダで起きてたまるかよ、って話。
その彼の訃報が、はいりました。
若い頃から、よくない薬も使っていたし、大酒飲みだった。そろそろ、危ないという情報もはいってた。
なので、驚きはしませんし、悲しいわけでもない。ただ、残念。いや、でも悲しいのかな。
もう、憎んではいないけど、されたことまで、ぜんぶ、水に流して、彼は、いい人だったなんて、言う偽善者にはなりたくない。
残念なんです。
もっと、ちゃんと、戦うべきだったな。
彼に、詰め寄ることもすべきだったな。
嘘の情報を流した相手に「さくらさんについて言った話は俺の作り話でした」と言い回れと、せまるべきだったな。
もちろん、そんなことを、要求しても、実現はしなかったでしょうし、当時の弱々しいわたしが、それをしようとするほど、大きなトラブルに発展したでしょう。それがわかっていたからこそ、当時だって、それをしなかった。
でも、やはり、やるべきでした。
わたしの、ほんとの願いは、彼の得意な冗談で笑える関係に戻ることだったんです。(それができないまま、彼が逝ったことは、たしかに悲しい)
そのために、可能性のあることは、すべて試すべきだった。
やらなかったから、後悔が残ってる。
あの頃のわたしは、「和を以て貴しとなす」「真実は神のみぞ知る」を、座右の銘にしていました。
怖かったから、いい人ぶって、逃げただけ。逃げる言い訳として、上の2つを座右の銘に掲げただけの話。
今は、平和だって自分から取りに行くものだ。神様なんて、ただ頬杖ついて、高みの見物してるだけだとわかってる。
だから、「自力でちゃんと戦え!」「尊厳と名誉を奪い返しにいけ!」って、今なら自分をけしかける。
とはいえ、そうはいっても、あの頃の私には、戦うと言っても、やり方がわからなかったから、しょうがなかったんだけどね。
で、もし、あの頃のわたしが、今のわたしみたいなカウンセラーに出会うことができてたら、すごく、良かったのにと、思う。
そしたら、今日も彼の訃報に、思い切り泣けたかもしれない。
当時のわたしと同じような体験の渦中にいる方、少なくないと思います。
あなたも、理不尽な目にあっているのなら、ちゃんと戦ったほうがいい。未来の自分のために。
わたしの後悔と学びが、いま、傷ついている誰かのお役にたてるなら、ほんとに、嬉しいです。
そろそろ、夫婦以外、親やそれ以外の人との関係を解決するカウンセリングメニューも、つくりますが、とりあえず。
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