小学生が
新聞配達の
アルバイトをするのだけど、
当時でも、
大人たちの反対が
少しだけあったと思うが、
私の耳までは
聞こえてこなかった。

親は私が新聞配達をする事を
大変喜んでいた。
小学校4年の冬まで
小児喘息との闘いだったが、
小学校5年の冬には
喘息は起こらず、
元気に過ごすことが出来たので
新聞配達をして更に逞しく
なって欲しかったのだろう。

更に裕福ではない家庭には
思いがけない収入があるとの
皮算用もあったはずであるチュー

期待を持たれた息子が
カメラを買ったら

さっさと辞めようと

思っているのは
露ほども知らない。 

そして友人の親父との
面接。

「頑張れるか?」

「はい」 

と答えたが

「カメラを買うまでは・・・」
の思いは心に秘めていた。

面接も無事終了して

採用となり、

愛車「ペス号」で新聞を
配達することになった。
(ペス号犬についてはその内に。)

新聞販売店にも
専用の自転車はあったが、
当時は学級でも
前から二番目位に
背が低かったので、
大人用の自転車には
足が届かなかったのだ。

当時、流行っていたのは
フラッシャー付きの自転車。
でも私は普通の自転車。

その自転車の後輪の横に
籠を付けて新聞を
入れることにした。

いよいよカメラが現実味
を帯びて来た。

カメラは何でも
良いカメラから
具体的に
オリンパス35EDと
なってくる。

続く。

この記事が、こんなに長くなるとは思ってませんでしたアセアセ