2007年1月2日再び日本に戻る朝は静かに訪れた。チェックアウトの時間は朝10時。上海にはもう数回来ているので、今更、早めに出て観光をしても既に見学済みの場所だらけであった。
帰国便は午後5時発なので、3時過ぎに空港に着けばよい。それまでの時間をどう使おうかと考えていると、「初詣」に行っていない事に気がついた。
そこで、遅めにホテルの中華料理レストランで朝食のお粥を取り、一番近い寺院の「静安寺」に向かう事にした。それにしてもさすが、一流ホテルだけあって、お粥も美味しい。(※お粥、初めて食べました)
「静安寺」は中国の雑踏の街中に静かにたたずんでいて、まるでタイムスリップした感覚に陥る。内部に入ると4方向に仏像が向かい合う様に座っていて、信仰深い地元の人が良くお線香を持ち、祈りを捧げている。お香の香りがほのかに香る。落ち着く場所だ。そこで、新たに新年の祈りを捧げ、激動の2006年と完全に別れを告げると共に2007年成就の祈りを捧げる。
よくアジアを回っていて、寺院を見学するのであるが、ワタシは何故か、寺院内部で写真を撮った事が無い。旅仲間にもなぜ、寺院の写真が無いのかと言われた事がある。思うに、シャッターを切れないのである。心霊現象とかでは無く、人が祈っている姿を写真に納めるという行動がどうも、自分の旅精神に反するのであろう。
その後、少々早いが雨も降っていたので空港に向かう事にした。上海には「浦東空港」と呼ばれる空港と、「虹橋空港」がある。浦東空港が2002年秋に完成し、国際線はすべてそこに発着する。日本で言えば、浦東空港が成田空港で、虹橋空港が羽田空港だ。
空港までは地下鉄2号線の駅から「リニアモーターカー」で浦東空港まで30キロの距離を7分だ。そして、このリニアモーターカーが凄い事。2004年に「上海~北京移動旅行」を行った時に初めて乗った時もかなり感動。用事が無いのに滞在中2回も乗ってしまった。最高時速が431キロでワタシの人生の中で一番地上で速い乗り物である。
ただ、怖い事もある。対向のリニアモーターカーとすれ違うのが、お互い最高時速の時。数秒の出来事なのだが、軽く、対向時の衝撃で横揺れする。設計上のミスであろうか。数回乗れば何処でそれが起きるかはわかるが、私みたいに旅行者で何回も乗る人はそういないだろう。お気をつけを。
2006年の夏に来た時は高熱の為、必死だったので滞在ホテルからどのように日本に帰ったかあまり覚えていなかった。でも、今回はそうなる事も無く、飛行機の出発時間ギリギリまで空港内で足つぼマッサージや免税品を買っていました。
中国渡航も5回を超え、ますますオリエンタルな魅力と様々なトラブルにハマり始めたなぁと私を乗せたANA960便は太陽の光を尾翼に受け、上海浦東空港を後にした。(完)
時計の針が22時をさす頃、南京路から移動し、行きつけの香港広場内のRojamにいた。2日連続の中国クラブ潜入。元旦の今日も、Tranceで内部は熱気であふれている。
Rojamは今回で3回目。フロア-収容人数は200名以上だろう。エントランスから細い通路を抜けるとメインフロアが姿をあらわす。構造はセンター正面にステージがあり、その後ろに巨大なスクリーンがある。ステージ前にはダンスフロア-があり、ダンスフロアの後方にはDJ,VJスペース。さらにその後ろには、客席があり、正面ステージを一望できる。客席の左側には、別のフロア-につながる通路が見える。
3回目となると、何処に何があるかもうわかってしまう。慣れた仕草で中国滞在最後のRojamを満喫して、日付が変わろうとしていた頃、再び、ホテルがある南京路に戻ってきた。中国の地下鉄は日本と同じく、終電が早い。駆け込み乗車ではあったが、混雑した最終電車に乗り込む事ができた。
駅からホテルまで南京路を歩いていたら、怪しげな男が
声を掛けてきた。
「お兄さん・・・マッサージどう?」
恒例のいかがわしい店への客引きである。男性バックパッカ-なら誰もが一度は経験があるこの状況。バックパックを背負った移動中であれば、まず声は掛けられないが、宿にバックパックを置いて、観光中は良く声を掛けられる。はじめの頃はなかなか断りきれなくて、どう対処したら、良いものかと悩み、その場を走って逃げたりしたものだった。
他の旅行者に教えてもらった話だが、そういう状況に遭遇した時は「 My wife is waiting hotel」と言えば、大抵は客引きは引き下がると聞き、それを私も実践していた。タイのトゥクトゥクの運転手、マレーシアのタクシードライバー、シンガポールの安宿の従業員には効果を発揮していた。そのフレーズで大抵の客引きが諦めていた。
しかし・・・・この国は違った。
「 My wife is waiting my hotel」
「No problem!!」
「何が問題無い・・」だと思いながらも、今度は流暢な日本語で
話かけてくる。このまま泊まっているホテルに行くのも、滞在場所がわかってしまいマズイと思った私は急遽、コンビ二に立ち寄る事にする。その途中も
「コンビニに行くの? 私待っているよ。」
「いや、俺はあなたの誘いにはのれないよ」
「近いよ、可愛いよ、来てよ」
「行かないよ」
とかなりシツコイぐらい。少々、呆れ顔になりつつも、この寒い中、コンビニに入っちゃえば、諦めて帰るだろう。と思い、ローソンに入る。すると男は・・・待っている。
この寒空の中、30分もコンビニの前で待っている。大した根性である。こちらもこれ以上コンビニに居ても状況が変わらないと判断し
外にでる。
また、着いて来る。非情な考えかも知れないが、この30分の間に、私を諦めて、別の客を見つければいいのにと思いながらも、小走りにホテルへ向かう途中も、日本語での勧誘攻撃。
このまま、日付が変わった南京路をこの客引きの男と歩き回るのも少々、疲れてきたのでホテルに戻る事にした。どのみち、ホテルの中までは入ってこないだろうと判断。
再度、きっぱりと客引きの男に「俺は行かないから・・・別の客を探しなよ!!」と少々、強めの英語で言うと、それが効いたのか、
向こうも諦めかけたのか、寒空の下、ついて来るか分からない男よりもっと、別の客を探した方が効率が良いと思ったのか
「じゃあぁ、気が変わったらこの名刺に連絡をくれよ」と言い、
悴んだ手をさすり始めた。
その後、世間話をその男とホテル前で2言、3言話すと、私はコンビニの袋からさっき買った温かい缶コーヒーを男に渡すと男は礼を言い、寒風が吹く南京路に姿を消した。
「世界にはいろんな人がいるな、これも出会いの1つかな」と思いながら、私は大半の宿泊客が眠りについている18階建のホテルのエレベーターを待っていた(続)
Rojamは今回で3回目。フロア-収容人数は200名以上だろう。エントランスから細い通路を抜けるとメインフロアが姿をあらわす。構造はセンター正面にステージがあり、その後ろに巨大なスクリーンがある。ステージ前にはダンスフロア-があり、ダンスフロアの後方にはDJ,VJスペース。さらにその後ろには、客席があり、正面ステージを一望できる。客席の左側には、別のフロア-につながる通路が見える。
3回目となると、何処に何があるかもうわかってしまう。慣れた仕草で中国滞在最後のRojamを満喫して、日付が変わろうとしていた頃、再び、ホテルがある南京路に戻ってきた。中国の地下鉄は日本と同じく、終電が早い。駆け込み乗車ではあったが、混雑した最終電車に乗り込む事ができた。
駅からホテルまで南京路を歩いていたら、怪しげな男が
声を掛けてきた。
「お兄さん・・・マッサージどう?」
恒例のいかがわしい店への客引きである。男性バックパッカ-なら誰もが一度は経験があるこの状況。バックパックを背負った移動中であれば、まず声は掛けられないが、宿にバックパックを置いて、観光中は良く声を掛けられる。はじめの頃はなかなか断りきれなくて、どう対処したら、良いものかと悩み、その場を走って逃げたりしたものだった。
他の旅行者に教えてもらった話だが、そういう状況に遭遇した時は「 My wife is waiting hotel」と言えば、大抵は客引きは引き下がると聞き、それを私も実践していた。タイのトゥクトゥクの運転手、マレーシアのタクシードライバー、シンガポールの安宿の従業員には効果を発揮していた。そのフレーズで大抵の客引きが諦めていた。
しかし・・・・この国は違った。
「 My wife is waiting my hotel」
「No problem!!」
「何が問題無い・・」だと思いながらも、今度は流暢な日本語で
話かけてくる。このまま泊まっているホテルに行くのも、滞在場所がわかってしまいマズイと思った私は急遽、コンビ二に立ち寄る事にする。その途中も
「コンビニに行くの? 私待っているよ。」
「いや、俺はあなたの誘いにはのれないよ」
「近いよ、可愛いよ、来てよ」
「行かないよ」
とかなりシツコイぐらい。少々、呆れ顔になりつつも、この寒い中、コンビニに入っちゃえば、諦めて帰るだろう。と思い、ローソンに入る。すると男は・・・待っている。
この寒空の中、30分もコンビニの前で待っている。大した根性である。こちらもこれ以上コンビニに居ても状況が変わらないと判断し
外にでる。
また、着いて来る。非情な考えかも知れないが、この30分の間に、私を諦めて、別の客を見つければいいのにと思いながらも、小走りにホテルへ向かう途中も、日本語での勧誘攻撃。
このまま、日付が変わった南京路をこの客引きの男と歩き回るのも少々、疲れてきたのでホテルに戻る事にした。どのみち、ホテルの中までは入ってこないだろうと判断。
再度、きっぱりと客引きの男に「俺は行かないから・・・別の客を探しなよ!!」と少々、強めの英語で言うと、それが効いたのか、
向こうも諦めかけたのか、寒空の下、ついて来るか分からない男よりもっと、別の客を探した方が効率が良いと思ったのか
「じゃあぁ、気が変わったらこの名刺に連絡をくれよ」と言い、
悴んだ手をさすり始めた。
その後、世間話をその男とホテル前で2言、3言話すと、私はコンビニの袋からさっき買った温かい缶コーヒーを男に渡すと男は礼を言い、寒風が吹く南京路に姿を消した。
「世界にはいろんな人がいるな、これも出会いの1つかな」と思いながら、私は大半の宿泊客が眠りについている18階建のホテルのエレベーターを待っていた(続)
走り始めた電車はスピードを緩める事無く、杭州から上海を目指して、霧の濃い中国の大地をひたすら東へと進んでいた。その景色を一言で表すなら「静」だ。
サントリーのウーロン茶のCMがリフレインする。BOX席で寒そうに中国人女性が向かいあうように座り、温かいウーロン茶を飲む。その車窓から見える景色が印象深かった。
その一方で車内は「動」 騒がしい程の売子の商品説明。「向日葵の種」「飲み物」「お弁当」「新年のお菓子」「新年のカレンダー」などを次々と売りにくる。すでに杭州の駅でお菓子や飲み物は買っていたので、特に購入することも無く、売子と中国人乗客のやり取りなどを眺めていた。
飲み物はインスタントのコーヒー、乗客が注文するとラクビー部とかで使う金色のヤカンが登場。お湯を入れてくれる。その光景が面白い。また、売子がくるのが1回だけかと思いきや、他にする事がない様で2時間ずっと列車を行ったり来たり・・・
そのやりとりが少々煩わしいかなと思った頃、列車は雨の上海駅に
静かに到着した。
人生の中では偶然的に出会うもの、必然的に出会うも、運命的に出会うものがあると思う。この上海の地は私にとってやはり必然的に出会わざるを得ない場所であった。
そう・・・忘れもしない。
この上海の地。2006年8月。旅を30回以上していて初めて海外で
中国人の連携プレーによりお土産詐欺にあった。
(※2006年8月頃の日記をご参照ください)
そして、40℃の高熱にうなされロクな観光ができなかった
場所でもある。
そのリベンジを込めてか、今回の旅行の計画を練る際に必然的に私の頭の中では杭州から中国に入る計画を立て、上海から抜ける計画が出来上がっていた。
そんな事を思いつつ、列車を後にして、プラットホームから改札へ抜けると去年8月に宿泊をしたホテルが目の前にあり、見慣れた光景が現れた。
人が多い事には変わりは無いのだが、都会の上海は杭州より更に人が多い。が、それには負けない。迷う事無く地下鉄2号線上海駅へ向かい、慣れた手つきで切符を購入。上海駅から人民公園駅へ向かい、そこから上海最大の繁華街「南京路」に向かう。
最後の夜、豪華にと「古象大酒店=Howard Johnson」に宿泊する事に決めていた。まぁ、クラブに行くので、ほとんど寝ない事には変わりが無いのだが・・・
バックパックを背負いながら豪華ホテルに泊まる時程、そのミスマッチさが恥ずかしい事は無い。汚れたジーンズにスニーカー、デカイバック背負った姿は明らかに大理石のロビーには不似合いである
以前、イスタンブール経由でパリに旅行をした際もパリからの帰国便が遅れに遅れ、当日乗り継ぎが出来ず、イスタンブールに1泊するハメになった。その時、航空会社が用意してくれたのが、SAS系列の5星ホテルでかなり恥ずかしい思いをした事を思い出した。
人目を気にしつつも、チェックイン後、そそくさとホテルを後にする。この上海に寄ったのだからと、あの去年8月に騙された土産物屋に自分から行って、写真を撮って来ようと計画していた。
これ以上、被害者を出さない為にも・・・
この上海の地理は3度目となれば、すでに頭に入っている。大体の感覚と断片的な記憶を頼りにして歩く事5分、その場所は旅行者を迎え入れるかの様に静かに姿をあらわした。
残念ながら、元旦という事もあってシャッターがおりていた。くしくも日本語で「おいしいウーロン茶あります」の文字。夏に来た時よりも欲望剥き出しです。皆様、お気をつけください。
その後、上海に来るたびに立ち寄るショウロンポーが美味しいお店、洋服が欲しかったので香港発のブランド店「ジョルダーノ」「Meters bonwe」に立ち寄り、マフラーを購入。「Meters bonwe」が昔の中国流会計方法だったので、久々少々戸惑う。
最近は日本同様、欲しい商品をレジに持っていき、お金を払うスタイルのお店も増えているが、一昔前、大きいお店、デパートは全て国が経営していた。商品を買うときは売り場でこれが欲しいと言うと、伝票を書いてくれる。その伝票を会計専門コーナーに持っていき、お金を払い、伝票の半券を持ってまた売り場に戻り、商品を受け取るという少々面倒なスタイルを取っていた。(中国のデパートの地下、最上階にあるフードコーナーとかはいまだにこのスタイル)
しかしながら、中国のファッションも少しづつ近代化している。が、まだ、中国ブランドが日本に上陸する事は無いだろう。デザインが日本で着るにはまだ、勇気がいる。(笑)そして、色使いも何処となく、70年~80年代だ。
ただ、確実にこの国は進化している。いずれファッション面でも日本に追いつくのではないだろう(続)
サントリーのウーロン茶のCMがリフレインする。BOX席で寒そうに中国人女性が向かいあうように座り、温かいウーロン茶を飲む。その車窓から見える景色が印象深かった。
その一方で車内は「動」 騒がしい程の売子の商品説明。「向日葵の種」「飲み物」「お弁当」「新年のお菓子」「新年のカレンダー」などを次々と売りにくる。すでに杭州の駅でお菓子や飲み物は買っていたので、特に購入することも無く、売子と中国人乗客のやり取りなどを眺めていた。
飲み物はインスタントのコーヒー、乗客が注文するとラクビー部とかで使う金色のヤカンが登場。お湯を入れてくれる。その光景が面白い。また、売子がくるのが1回だけかと思いきや、他にする事がない様で2時間ずっと列車を行ったり来たり・・・
そのやりとりが少々煩わしいかなと思った頃、列車は雨の上海駅に
静かに到着した。
人生の中では偶然的に出会うもの、必然的に出会うも、運命的に出会うものがあると思う。この上海の地は私にとってやはり必然的に出会わざるを得ない場所であった。
そう・・・忘れもしない。
この上海の地。2006年8月。旅を30回以上していて初めて海外で
中国人の連携プレーによりお土産詐欺にあった。
(※2006年8月頃の日記をご参照ください)
そして、40℃の高熱にうなされロクな観光ができなかった
場所でもある。
そのリベンジを込めてか、今回の旅行の計画を練る際に必然的に私の頭の中では杭州から中国に入る計画を立て、上海から抜ける計画が出来上がっていた。
そんな事を思いつつ、列車を後にして、プラットホームから改札へ抜けると去年8月に宿泊をしたホテルが目の前にあり、見慣れた光景が現れた。
人が多い事には変わりは無いのだが、都会の上海は杭州より更に人が多い。が、それには負けない。迷う事無く地下鉄2号線上海駅へ向かい、慣れた手つきで切符を購入。上海駅から人民公園駅へ向かい、そこから上海最大の繁華街「南京路」に向かう。
最後の夜、豪華にと「古象大酒店=Howard Johnson」に宿泊する事に決めていた。まぁ、クラブに行くので、ほとんど寝ない事には変わりが無いのだが・・・
バックパックを背負いながら豪華ホテルに泊まる時程、そのミスマッチさが恥ずかしい事は無い。汚れたジーンズにスニーカー、デカイバック背負った姿は明らかに大理石のロビーには不似合いである
以前、イスタンブール経由でパリに旅行をした際もパリからの帰国便が遅れに遅れ、当日乗り継ぎが出来ず、イスタンブールに1泊するハメになった。その時、航空会社が用意してくれたのが、SAS系列の5星ホテルでかなり恥ずかしい思いをした事を思い出した。
人目を気にしつつも、チェックイン後、そそくさとホテルを後にする。この上海に寄ったのだからと、あの去年8月に騙された土産物屋に自分から行って、写真を撮って来ようと計画していた。
これ以上、被害者を出さない為にも・・・
この上海の地理は3度目となれば、すでに頭に入っている。大体の感覚と断片的な記憶を頼りにして歩く事5分、その場所は旅行者を迎え入れるかの様に静かに姿をあらわした。
残念ながら、元旦という事もあってシャッターがおりていた。くしくも日本語で「おいしいウーロン茶あります」の文字。夏に来た時よりも欲望剥き出しです。皆様、お気をつけください。
その後、上海に来るたびに立ち寄るショウロンポーが美味しいお店、洋服が欲しかったので香港発のブランド店「ジョルダーノ」「Meters bonwe」に立ち寄り、マフラーを購入。「Meters bonwe」が昔の中国流会計方法だったので、久々少々戸惑う。
最近は日本同様、欲しい商品をレジに持っていき、お金を払うスタイルのお店も増えているが、一昔前、大きいお店、デパートは全て国が経営していた。商品を買うときは売り場でこれが欲しいと言うと、伝票を書いてくれる。その伝票を会計専門コーナーに持っていき、お金を払い、伝票の半券を持ってまた売り場に戻り、商品を受け取るという少々面倒なスタイルを取っていた。(中国のデパートの地下、最上階にあるフードコーナーとかはいまだにこのスタイル)
しかしながら、中国のファッションも少しづつ近代化している。が、まだ、中国ブランドが日本に上陸する事は無いだろう。デザインが日本で着るにはまだ、勇気がいる。(笑)そして、色使いも何処となく、70年~80年代だ。
ただ、確実にこの国は進化している。いずれファッション面でも日本に追いつくのではないだろう(続)