緊急事態宣言の頃のことを書いています。

両親と距離を置いていたので、しばらくして父から聞いた話です。




母は商業高校出身で、ソロバンが得意だった。


会社でも、経理のようなこともしていた。


まだ認知症が始まった頃、母はびっくりするくらいたくさんのお札を財布に入れていたので、

通帳や現金は私と父で管理することにし、

父は母の財布に2000円ほど入れることにした。


会社に行っても、お昼ごはんも出るし、お金を使うこともないが、なにか買いたいと思った時に困るし、

母が財布を見ては、

お金ないねん…

と悲しそうに言うからだ。


そのうち、財布の中に、

いま645円入っています

というような、細かい金額のメモが入るようになった。


私とAさんは、当時コミニュケーションを取っておらず、従業員さんから会社での母の様子を聞いていた。


Aさんが、


ゆりりん達にお金を取られるから、毎日家に帰る前に何円財布に入ってるか書いとけ

と言っていたそうだ滝汗



いやいやいやいや、

父が入れてるお金やからーー(°▽°)

相変わらず言うことの意味がわからんチーン


お金持たさないでおくかとも思ったが、全くないのも困るし…滝汗


ほんまめんどくさい…。




そして、その頃の母は、家にある小銭と財布の小銭を合わせて数えるのが大好きで、

毎日何度も何度も数えていた。


リハビリ?

というような気持ちで、父も小銭を貯めては母に渡していた。


そんなある日、母が、家にある小銭を全部会社に持って行ってしまった。


家にお金置いといたらあかん。全部取られる。

またAさんが余計なことを吹き込んだようだ滝汗


もちろん母は言いなりで、小銭を全部持って行ってしまった。


会社から帰って、いつも数えてる小銭がないことに気づき、

だが、自分が持ち出して会社へ持って行ったことは忘れてしまい、


お金なくなった

と、落ち込んだように言う。


金額にしたら大したことはないが、

毎日数えるのが楽しみだった母がかわいそうで、父が、

会社に持って行った小銭を返してやってほしい

と、Aさんに頼んだ。


Aさんはいつものように、


はいはい!わっかりました〜

と口だけは調子良く言って、


結局は、一円も持って帰らさなかった。


Aさんと話すといつもそうだ。


答えは調子良いが、決して行動にはうつさない。


もう何度も言うのがイヤになってくるし、結局こっちがあきらめてしまう。


それを聞いて、また悔しさと悲しさが込み上がってきた私だった。