(「マリー・ラテイストの作品」より)
(第3巻「祝福された聖母マリア、私たちの主イエス・キリストの御母」第12章)
5月のある日、マリアは私にこう言われました
「娘よ
私が悩める者の助け、罪人の拠り所、病める者の救い、と呼ばれているのには、ちゃんとした理由があるのです
私は悩める者の助けですー人の心を打ち砕き、その力を奪ってしまうような苦難がしばしばあります
そんな時、私を仰ぐ人は幸いです
その人たち慰められるからです
苦しんでいる人を慰めるには、自分も苦しんだことがなければなりません
そうすれば、その人の痛みに同情することができるからです
また、悩みそれ自体からは目を逸らすことなく、悩みを完全に取り除くことができる方法と、物の言い方を自分のうちで見つけることも必要です
私の娘よ、すべての苦しみが私の中にあります
ただし、罪の苦しみだけは除きます
私は国を追われ、持っていたわずかな物さえ失い、御子が十字架で死ぬのを見ました
その瞬間、私は人の心が経験し、耐え得ることのできるすべての苦悩を自分の中に受け留めたのです
ですから私は、死によって離れ離れになった友人たち、迫害によって追われた人々、苦しみを表に出すことなく密かに心の中に秘めている人たちの痛みに同情する術をわきまえているのです
私は神のみ旨に服従し、霊を目覚めさせ、すべてのものが過ぎ去っていくこと、また試練は苦悩の対象とはならず、逆に栄光と幸福の対象であるということを示すことによって、苦悩を消滅させる方法を知っています
その時、私の言葉はこれ以上はないほど非常に甘美で母性的で愛情深いものなり、すべての悲しみと苦しみを静めるものとなるでしょう
それは即効性のある癒しの香油のようで、傷をいやすだけではなく、苦しむ人を強くしてくれるのです
その人に、私の言葉を与えましょう
また、私の御子を与えましょう
それは地上と天上のすべての喜びの源であり、すべての幸福の源です
私は病める者の救いですー病気には、身体の病気と魂の病気の2種類があります
そして私はどちらも同じように癒します
この2つの病気は、どちらも人間の罪に由来しています
罪はすべての身体的、道徳的な病の原因となっています
罪は人間を死と、人生の道のりで肉体を苦しめる様々な病気に晒し、悲しいことに魂を悪に傾かせ、この悪への傾きが魂の病気となるのです
私は罪を犯したことはありません
罪が私の心に入り込むことはありません
それどころか、私は聖と呼ばれるお方を産みました
彼は私の中に入られ、私の胎内で肉体となられました
その御宿りによって、私は偉大な特権、つまり聖ではないもの(悪)の存在によって人間にもたらされたもの癒すことができるようになったのです
私はこの世を罪から贖う救い主を与え、罪の結果(病)を癒す力を持つ者となったのです
私は病んでいる身体を癒します
この18世紀の間、世界中でどれほど多くの人々が、自分の命の救いに絶望し、私に願うことによって健康を取り戻したかを見てください
私が善意の人たちの身体に奇跡を起こさない日はありません
けれども、私は何よりも魂に私の力を示すのを好みます
どれほど多くの若い男女が、どれほど多くの成熟した大人たちが、魂の自己中心的な力と悪への傾きを心に感じていることでしょう
彼らは私の助け、援助、保護、支えを懇願し、私はそれらの邪悪な傾向を断ち切り、その代わりに彼らを善へと導きます
地上を見るのではなく天上を見、悪魔に耳を傾けるのではなくイエスに耳を傾け、世に聴くのではなく私に聴き、善良に歩んでいくのです
私は罪人の拠り所ですーかつて人間は犯罪者を匿うための都市を築き、その入り口を不可侵のものとしていました
私は避難都市です
ですから、すべての罪人、それがたとえ大罪人であっても、私のもとに来ることができるのです
私は彼らのうちの誰ひとりとして拒絶することなく、すべての者が私自身であるその都市に住むことを許します
彼らはそこで、人間からではなく神から保護されます
罪人の死を望まず、その命が生きることを望まれる神は、私の保護のもとにあるからこそ、彼らを尊重されるのです
正義は彼らを打ち砕かず、逆に憐れみをもってみそなわし、彼らが魂の誠実さをもってご自分の元に戻ってくるのをみて、彼らを再びご自分の子として愛され、祝福で満たしてくださるのです
ですから苦しむ人は皆、私のところに来てください
私はあなたたちを慰めましょう
弱い人たちは私のところに来てください
私はあなたたちを癒しましょう
罪人であるあなたたちは皆、私のころこに来てください
私はあなたたちを聖化しましょう