(「マリー・ラテイストの作品」より)
(第6巻「祈りについて」第5章)
これは神に祈ることについて、救い主イエスが教えてくださったことです
また、別の祈りについても話してくださったのですが、(イエスが)話してくださっている間中、そのみことばの周りに明るさがあったのをおぼえています
それはマリアに祈ることについてでした
その時いただいた教えは、とても役に立つものでした
「マリアの聖画と聖像に向けられる賛美と祈りは、直接マリアに向けられたものです
それは邪悪で不敬虔な者たちの侮辱がマリアの聖画や像に向けられているのではなく、マリア自身に直接向けられているのと同じです
確かに、マリアは偉大で力強く、憐れみ深く、善意に満ちていますが、神の善意と憐れみ、力、偉大さはそれよりもはるかに優れています
神は無限であるのに対し、マリアは神の作品であり、被造物に過ぎません
従ってマリアに向けられる賛美は神に向けられているものでなければならず、神がそのように望まれているからこそ、マリアは尊重され愛されなければならないのです
マリアは創造主の手による最高傑作です
最も美しく、最も神聖で、最も完全な被造物とされたのです
神はマリアを愛し、敬い、その尊厳を高め、地上と天上の他のどの生き物よりもマリアを愛しています
ですからあなた方はマリアを敬い、愛し、賛美し、神がマリアのためにされたすべてのことについて感謝をしなければならないのです
マリアはあなた方の敬愛の対象でなければなりません
また、マリアは誘惑、魂の必要、悲しみと不幸の中であなた方が頼らなければならない方であり、彼女はあなた方を助け、恵み、慰めを与えてくれるでしょう
わたしがこう話すのは、マリアが神よりも強いと思わせるためではなく、神はマリアを通してのみ、すべてを与えようという意志があるということを教えるためです
ここに人間に対する神の摂理のすべての計画があります
わたしは神(御父)と人間の間にいます
わたしを通してでなければ、誰もわたしの父から何かを得ることはできません
しかしわたしはわたしと人間の間に母を置き、母を通して、また母の配慮によってでなければ、人に何も与えません
罪人はマリアに立ち返り、そのご保護を受けることができるなら赦されるでしょう
わたしと平和のうちにいる者は、私の父とも平和のうちにあり、わたしの母と友好状態にある者は、わたしとも友好状態にあるでしょう
あなたが必要としているすべての恵みをマリアに求めなさい
そうすれば、マリアはそれを与えてくれるでしょう
自分の無価値さを認めてマリアに求めなさい
そうすれば、マリアはそれを与えてくれるでしょう
神が配られるすべての恵みは、巨大な貯水池のようにわたしの中にあります
わたしはそれらを新しい貯水池であるマリアに流入させ、そこに引き込ませます
あなたが恵みを求め、わたしの父が同意し、わたしがそれを与え、マリアがそれを授けるのです
もしわたしに迎え入れられたいなら、マリアに頼んで自分を捧げるか、マリアの名によって自分を捧げ、自分の功徳ではなくマリアの取り次ぎによってわたしに受け入れてもらえるよう願いなさい
もしあなたがわたしのところに来れない時には、マリアのところに行き、あなたのために執り成してくださるように頼みなさい
誘惑、危険、危機にある時にマリアのもとに行くことは、勝利を確信することです
マリアの手中にあり、マリアのご保護の下にあるということは、自らの救いが保証されているということなのです