神のはしためルイザ・ピッカレータの神秘体験より
神の意志に住んでいない人のイメージは、地上でどのようなものか。
「天国の書」12巻/1919年3月12日
私の貧しい状態が続いていたとき、私の甘美なイエスはほんの少しの間だけ来られ、彼の最も聖なるみ心に私のすべてを抱きしめてこう言われました
「私の娘よ
もし地上に山がなく、すべてが平野であれば、太陽からの利益をより多くの享受することができるでしょう。
地上全体にとって、それは常に陽が降り注ぐことであり、すべて場所が同じ温度となるので、より多くの果物を実らせることができます
しかし、実際には山があり、高い場所と低い場所があるので、太陽の光と熱を平等に受け取ることができず、ある場所は影で覆われることになりますし、ある場所はより多くの太陽の光の恩恵を受けることになります
山は高さによって、光と太陽の熱が深さに浸透するのを防ぐため、多くの土地は不毛な状態になっています
そして更に他にいくつもの点で不便になります
さて、私の娘よ
この地上は私の意志に住んでいない人のイメージであることをあなたに伝えます
山はその人(神の意志に住んでいないひと)の行ないを表現しています。
その人の短所、欲望、欠点は山を形成し、多くの悪徳が形成される沈んだ谷となります。
そして山は人間の闇と冷たさを引き起こします。
もしその人が時折わずかな光を楽しむようなことがあったとしても、それがその人の欲望の反抗をこの光に対して引き起こします
私の意志に住んでいない人にとって、それはどれほど悲惨なことでしょう。それとは逆に、私の意志に住んでいる人に対して、私の意志はその人を固定し、欲望のすべての山を平準化し、その人のすべてを1つの平地のようにします。
そして、私の意志の太陽は望むがままにその人に光を降り注ぐので、その光が届かない場所はどこにもありません
ですから、私の意志の外にいる100年よりも、私の意志に住む1日の方が魂を聖化するのではないでしょうか?」