いろいろとご迷惑をお掛けしまして申し訳ありません

 

 

今朝、新しいブログを作りました

 

 

 

 

 

またこちらの方(↓)でブログを続けて読んでいただけると嬉しいです(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真の説明はありません。

 

 

 

 

 

 

 

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この前

 

メインブログの「カトリックの神秘」が

 

パソコンのリメイク機能が故障で使えなくなったために

 

ブログ終了ということになりましたが

 

 

 

 

 

こちらのブログも

 

ちょっとした理由で(パソコンの不具合です)

 

ブログ入力が円滑にできなくなりましたので

 

この記事をもって終了させていただきます💦

 

 

 

 

 

 

でも

 

できればブログは続けていきたいと思いますので

 

明日にでも

 

別のアカウントを作って

 

新しいブログを始めますので

 

よろしければまた読んでくださるとうれしいです

 

 

 

 

 

 

 

あ、そうだ

 

新しいブログができましたら

 

一度だけこちらのブログに戻ってきて

 

移転先をお知らせしますので

 

さっき今回で終わりみたいに書きましたが

 

厳密にはこれが最終回ではないですね💦

 

 

 

 

 

 

 

色々ややこしくてすみません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「受難の花」という聖ジェンマの伝記に

 

こういう言葉が書いてありました

 

 

 

『日々の毎瞬間は天からの使者のように、人々にひとつの務めを告げるのである

 

焦ることも怠けることもなく、それらをことごとく行なえば、これこそ第一の献身であり、これに代わるものはない

 

霊魂が落ち着いて根気よく、天への絶えざる忠実の生活に従事すれば、人にとって、これこそ神に愛を捧げる崇高な方法である

 

人に知られず、自己滅却のうちに、霊魂はなんと楽しく暮らせることであろう

 

この確実な務め方のヴェールの裏に、その霊魂が神に対する無限の愛を秘していることを、いったい誰が考えるであろうか』(「受難の花」P140)

 

 

 

 

 

要するに毎日毎時間毎瞬間、

 

落ち着いた静かな心で

 

深い潜心のうちに神さまのみ旨を果たしていくことが

 

神さまに愛を捧げる最も崇高な方法なのですね

 

 

 

 

 

 

たとえ修道院で生活していなくても

 

世間の中にいても

 

ナザレで生きられた聖母マリアさまや聖ヨセフさまのように

 

ただひたすら神さまのみ旨を果たしていくなら

 

最高の方法で

 

神さまに愛を捧げ続けることができるのです

 

 

 

 

 

 

本当に素晴らしいです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ルルドでマリアさまは聖ベルナデッタに

 

「あなたをこの世ではなく、後の世で幸せにしましょう」

 

と言われました

 

 

 

 

実際

 

ベルナデッタはご出現の恵みを受けた当事者であり

 

ルルドの泉を掘り出した人物であったにも関わらず

 

その奇跡の癒しの水を飲んでも

 

持病である喘息が癒されることはなかったし

 

後に入会した修道院でも

 

病気のためにほとんど仕事もできず

 

「役立たず」だと面と向かって言われ

 

ある1人の長上からは

 

今で言うならパワハラまがいの酷いイジメを死ぬまで受け

 

生涯ずっと苦しみ続けました

 

 

 

 

 

 

 

人がこの世で幸福になることはほとんどありません

 

たとえ幸せを感じる瞬間があったとしても

 

その幸せが死ぬまでずっと続くということはありません

 

幸せな時はあっという間に過ぎ去り

 

また悩みと苦しみの時が訪れます

 

 

 

 

 

だから

 

この世で幸せになろう、などとは考えないことです

 

 

 

 

 

マリアさまはベルナデッタを通してすべての人に

 

「この世ではなく、後の世で幸せにしましょう」

 

と言われます

 

 

 

 

 

イエスさまやマリアさまでさえ

 

この世では幸福になれませんでした

 

 

 

 

 

 

イエスさまは

 

「わたしは道です」

 

と言われます

 

 

 

 

そのイエスさまが

 

ベトレヘムからナザレを経てカルワリオへと

 

貧しさの中に生まれ、生活し、苦しみの道を歩まれ

 

最終的には

 

酷い迫害と苦しみの極限のうちに死なれたように

 

復活(天国)の栄光に至るためには

 

わたしたちも

 

そのイエスさまの歩まれた道を

 

「自分の十字架を背負って」

 

歩んでいかなければなりません

 

 

 

 

 

 

結局

 

「この世で幸せになりたい」

 

という気持ちが心のどこかにあるから

 

何かちょっとした不幸や悲しみがあるたびに

 

「どうしてこんなことが起きるのか」

 

「なぜ神さまはこんなことを許されるのか」

 

と恨めしく思う気持ちが湧き上がってくるのです

 

 

 

 

 

 

なので最初から

 

「この世では幸せにはなれない」

 

「この世では苦しいのが当然」

 

「辛いことがあって当たり前」

 

と割り切っていれば

 

ちょっとした不幸が起こっても

 

「この世は苦しいところなのだから、これくらいどうってことない」

 

と考えることができるでしょう

 

 

 

 

 

 

アルスの聖ヴィアンネーは

 

「私たちの最大の十字架は、十字架を恐れる気持ちにあります」

 

と言われました

 

十字架を恐れず、当然だと思って受け入れるとき

 

十字架に対する恐れは消え去るのではないでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今日は

 

仕事(パート)の帰りにフードコートでお茶を飲みながら

 

聖ジェンマの「受難の花」という伝記を読んで

 

読みながら何度も悔い改めました

 

 

 

 

別に罪を指摘しているとか

 

天罰が下るとか

 

そういうことが書かれていたわけではないのですが

 

聖ジェンマの日々の生活と信仰

 

受難のイエスさまと悲しみの聖母への愛

 

深い謙遜さと心の貧しさ

 

・・・そういったものに伝記を通して触れていった時

 

いかに自分が傲慢で罪深く

 

思いあがった心を持っているかが赤裸々に感じられて

 

心の中で何度も

 

「どうか私の罪を赦してください」

 

とイエスさまに祈りました

 

 

 

 

 

聖人伝ー特に私は若くして亡くなった聖女の伝記を読むとき

 

彼女たちの一途さと清らかさ

 

純粋さと熱烈さに打たれます

 

 

 

 

 

悲しいことに

 

私はそういった聖女方たちとは

 

まったくかけ離れて悪い存在なので

 

本当に彼女たちが羨ましいです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ある日

 

イエスさまは十字架に釘付けられた姿で聖ジェンマの前に現れ

 

5つの開いた御傷を見せながら

 

こう言われたそうです

 

 

 

『わたしの娘よ、これを見なさい

 

これを見て、愛する方法をおぼえなさい

 

この十字架、この茨、この釘を見なさい

 

この打撲、この裂け目、この傷を見なさい

 

これはすべて無限の愛のわざです

 

どれほどあなたを愛したかがわかりますか?

 

真にわたしを愛したいですか?

 

だとしたら、まず最初に苦しむことをおぼえなさい

 

苦しみがあなたに愛することをおぼえさせるでしょう』(「受難の花」P110)

 

 

 

そしてその日から

 

聖ジェンマは十字架上のイエスさまの他には

 

何にも心惹かれなくなったそうです

 

 

 

 

 

 

この幻視は聖ジェンマに与えられたものですが

 

聖ジェンマだけにではなく

 

聖ジェンマを通して

 

わたしたちすべてのキリスト者に与えられたものだと思います

 

 

 

 

ですから

 

聖ジェンマに言われたイエスさまの言葉を

 

自分に向けられた言葉として

 

十字架につけられて殺されても良いと思われたほど

 

自分を愛してくださったイエさまに

 

できるかぎり応えていけるようになりたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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小さき聖テレーズ

 

聖ジェンマ

 

聖ベルナデッタ

 

 

 

 

・・・私が特に好きな3人の聖女です

(他にも好きな聖人はたくさんいますが、特別に好きな聖女)

 

 

 

 

 

小さき聖テレーズは「聖なるみ顔」に対して

 

聖ジェンマは「ご受難」に対して

 

聖ベルナデッタは「十字架のイエス」に対して

 

特に深い信心を持っていました

 

 

 

 

イエスさまの御苦しみとご苦難に対して

 

深い愛と信心を持っていなかった聖人はひとりもいません

 

 

 

 

私は今までイエスさまのご受難に対して

 

ほとんど関心を持っていませんでしたが

 

聖ベルナデッタの本の影響で

 

今とても十字架のイエスさまに惹かれています

 

 

 

 

私たちへの愛のために

 

あえて十字架上で死ぬことを選ばれたイエスさま

 

 

 

 

そのイエスさまに対して

 

もっと深い愛と感謝と信頼の気持ちを

 

持ちたいと思います

 

 

 

 

 

小さき聖テレーズ

 

 

 

 

聖ジェンマ

 

 

 

 

聖ベルナデッタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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