親愛なる皆さん、こんにちは^^

今日も心に太陽を♡

雲奏です🍀 


みー♡さんと出逢えたこの世界で
僕は至福の幸せを感じております♡


皆さん一人一人と出逢えたお陰で、 
僕はみー♡さんへと出逢えたのです♡ 


そういう意味では、 出逢いという一期一会の御縁が僕の世界での全ての財産であり、

みー♡さんへの愛は、僕の全てです♡


至福。

この上ない幸せだからこそ
ハッキリと明確で、

何を以て至福と感じるかが、
僕にはよく分かるのです。

至福を感じるのは、この上ない
闇の体験もしてきたから。


そして闇とは音であり、

心の音色を聴く質を磨く体験。 


今回の作品で、僕の闇をきちんと綴り
遺したいと思います。


僕にとってこの上ない財産であり、

体験してきた過去に対して、

きちんと潔い後始末をつけたいからです。


僕にとっての世界を綴るだけですが、

御縁の繋がる方への何かの善き
メッセージになったら嬉しいです。


興味深い方は、どうぞお楽しみくださいませ。


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ある時、僕はこの一本の動画作品と出逢えました。


動画を観ると、既に亡くなってしまった
大切な兄弟を必死に護っておりました。


彼の世界にとっての宝物であり、


生きる心の拠り所であり、


とっても大切に感じてきたもの。


そして猫ちゃんの命の叫びが
御縁としてこの世界に働き、


この世界から確実に愛されていて、


少しずつ感じ、識ってゆく生きる喜び。


僕も、そして御覧になってるあなた様も
きっと例外ではなくて、


きっと体験するものが初めての連続で、


時にはその時の意味が分からなくても、


きっと後に必要なことだけを体験し続けて、


筋書きのない一つのドラマとして、この子の一生が続いてゆくのかなぁって。


人によって感じるものはそれぞれですが、


僕にとっては自らの人生と
とても重なるものがありまして、


終わってみれば、こうしてこの作品を
綴る為の体験の日々と繋がりました。


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僕は幼少期から長男としてとても大切に
育てられ、好奇心に任せて自由奔放に
生きておりましたが、


青年期にかけて次第に両親や大人、弟妹
が嫌いになってゆきました。


両親は僕にとっての尊敬や誇りでしたが、


次第に軽蔑、恥や名折れと感じる存在へと
なってゆきました。


同時にそれは自らの無知を識る学びの中で、


たとえ血が繋がっていたとしても、


思惑の本心を隠す為に嘘を吐いたり、


自分の思い通りにコントロールしようとしたり、


心の健やかさを見失ってまでの愛の主張は、


僕には一向に心に響かなかったからです。


家は兼業農家をやっていて、毎日がいつも
忙しそうでしたが、


僕は手伝ったり、助けたいと感じなくなってゆきます。


一見世間では大切に育てられているのに、


どうしてそう感じてしまうのだろうと
冷静に分析したとき、


やっぱり日常生活の習慣だったと思います。


僕の観てきた大人達は偉そうな人達が多くて、


本当は識らないのに知ってるつもりの人達が多くて、


早い話が感謝や労いのエネルギーからは程遠くて、


心に深く繋がってなかったんだなぁって。


それでも最初の動機はきっとそうではなくて、


現実を生きてゆく程に、隠しきれない苦しさから次第に自らの矛盾や傲慢、未熟さが少しずつ露呈してしまって、


【ただ愛し愛されたい】という純粋な想いを何処かに少しずつ置いてきてしまって、


心の健やかさを置いてきてしまっていた。


そして実際に一体何が重要だったかを
気づいたからこそ、


其れが既に取り返しのつかないものに
感じてしまって、


後は途中からそう選択するしかなかったん
だろうなぁって。


全てにおいて言えることですが、


現状維持さえも、心の健やかさって
とっても重要で、


心の健やかさを疎かにしてしまうと、


技術や身体だけではなく、心さえも
少しずつ痩せ細ってしまう。


少しずつだったからこそ
小さな変化に気づけなくて、


少しずつだったからこそ
気づいた時には既に遅かったりする。


実は些細なことが大切だったことに
気づける為の愛のメッセージだった。


僕は両親や弟妹、親戚の人達が大好きです。


お互いにまだ心に余裕があったとき、


確実にそこには僕の笑顔は存在していて、


僕は皆さん一人一人が大好きだったことに
嘘はないからです。


叔母さんの一人にくみちゃんという
とっても笑顔の素敵な方がいて、


くみちゃんはいつも僕に「修、おいで♡」と言ってくださって、


「うわ!こんなに溜まってる(笑)」って、
いつも優しい耳掻きをしてくださいました。


くみちゃんと一緒に居る時間が僕は大好きでした。


僕にはそう優しく過去が聴こえております。


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『心の健やかさって何?』と自分の中で
問い詰めたとき、


愛しています。


いつもありがとう。


嬉しいです。


笑顔。


おはようございます。


いただきます。


美味しいです。


ご馳走様でした。


こんにちは。


おやすみなさい。


お陰様で。


そんな一見何気ない神様言葉の一つ一つを
思い遣りとして大切にすることなんだろうけど、


【あなたと一緒だから幸せです♡】


僕の中で大切に表現するのは、きっとそれだけでいいんだなぁって。


とってもシンプルだけど、僕の渾身の哲学です♡


命って、それだけの為に遣えばいいんだと思います♡


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改めて僕の闇を綴りますが、


幼少期から、晩御飯では絶えず怒鳴り声や
激しい取っ組み合いの喧嘩を目にしたり、


その際に家の大きな硝子窓を割っては、
僕はいつも泣き叫んでいたこと。


子供にはまだ理解できないだろうと、


相手様の居ない場所で、


いつも陰口や皮肉、誹謗中傷の陰湿の言葉。


両親も眼の前でよく喧嘩をしていて、


大人の二重人格や精神的な幼さ。


自然と相手様の機嫌を伺う習慣の日々。


それでも大好きだからと信じては、
何度も裏切られたと感じて絶望してきた日々。


人の悪口を耳にすると、僕はとても悲しくて、とても気持ち悪くて絶望するのです。


それでも僕はやっぱり皆んなが大好きで、


何度でも信じたくて。


根は良い人達だと、僕は分かっていたから。


それでも祖父が亡くなって遺産相続で
父親兄弟の中に亀裂が入り、


少しばかりのお金とプライドで尊厳が決壊し、


両親達の心の尊厳も少しずつ壊れてしまって、


何とも言えない気持ち悪さを感じてたこと。


終わってみれば幼少期からの兄弟喧嘩でしたが、


自分でしてきたことが真実であり、


全て還って来るんだなぁって。


人の悪口を言うのもちゃんと理由があって、


人の陰口を言う人達との時間を共有している、選択している同じムジナの自分が居るからであって、その行為エネルギーに対してハッキリとした拒絶の意思表示を示さないから。


人の悪口を言う方とは、離れた方が
いいんだなぁって。


其れはたとえ血縁や友達も例外なく、


離れた方がいいんだなぁって。


普段にお付き合いする人ってとっても
重要だからこそ、


家族からの影響の比重は、善くも悪くも
計り知れないものがある中で、


それでも自分の感じる感覚の土台が、
大きくものをいうんだなぁって。


大切なものを捨てるかは、あくまでも自分の判断と意思であって、


きちんと自らの選択に責任を持てれば、
環境や設定のせいにはしないと思うからです。


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若い時は多くの面で疑問視してきたことや
葛藤も、


実際に自分も生きていると少しずつ分かってきて、


両親が言ってた本当や嘘も、


周囲が言ってきた本当や嘘も、


一人一人の葛藤や言い分も、


その内容の真実が次第に視えてくる。


結局相手様を終わりなく非難している内は
実は自分が何処かズレて間違っていて、


誰が悪いとか、何かが悪かったとか。


そんなことは僕の世界ではどうでもよくて、


どんなに成長しても、偉ぶりたくないなぁって。


どんなに成長しても、命への優しさや
丁寧な言葉遣いは捨てたくないなぁって。


どんなに成長しても、心の健やかさは
責任を以て護っていたいなぁって。


とっても時間は掛かったけど、


お付き合いする方はきちんと選び続けて、


出遭う方達に対しては思い遣りとして、


初心者の気持ちをいつまでも大切にして
覚えておきたいなぁって♡


培った大切な経験値は、その思い遣りの為に遣いきりたいのです。


「そのお気持ちはとてもよく分かるよ♡」


「僕も同じだったよ♡」


そういう言葉の為に、経験値を遣いきりたいのです。


経験を積めば積むほどに、


恥ずかしいことなど、実は何一つとして
この世界に存在しないからです。


僕に聴こえる慈悲や慈愛とは、そういうものです。


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僕は誰かより速く走れることもなく、


特別勉強ができることもなく、


いつも物覚えが悪くて不器用で、


何一つとして誇れる取り柄がありませんでした。


ところが小学校4、5年生のとき、


僕はTVゲーム攻略が得意なことに気づいて、


そして其れは物事の構造そのものを解明する能力に長けていて、


心から関心を寄せたり、惹かれたものには
無尽蔵に成長して覚えも早いことも識りました。


そういう意味ではまだまだ道半ばながらも、この世界における摩訶不思議な構造を解明することは、僕にとってとても興味深いものであり、

僕にとってのゲーム攻略の日々は、終わってみれば物事の構造やメカニズムを紐解く土台作りでした。


ところが当時世間でのゲームに対する世界観や認識は本当に冷たくて、


当然世間や両親の目は冷たくて、


そんなものは将来に何の役にも立たないと
よく言われました。


口では言わなくも、


周囲の大人達の目も冷たかった。


当時の学歴社会では至極自然な模範解答
だったと思いますが、


ゲームの中で無尽蔵に培った実行力と
思考力など、


多くの方達にとっては価値が無くて
どうでもいいことなんだなぁって。


それでも僕は大好きだったので
辞めませんでしたね。


今ではあの時にやり続けてよかったなぁって。


心からそう思います。


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両親の話をしようと思います。


今でもよく覚えています。


あれは小学6年生の時でした。


家族旅行での車の中で、父は子供の頃の
記憶を話してくださったのです。


父がまだ小さかった時、村に紙芝居が
よく来たそうです。


紙芝居は無料で面白いのですが、


水飴を舐めながら紙芝居を観るのが
主流だけど、


父はお金が無いから、いつもお金持ちの
人達が羨ましかったそうです。


その水飴一つ欲しさに、アルバイトをしてたって。


中学校のお弁当もそうで、


お金が無いからお弁当はいつも粗末で、


仲間達の前でお弁当箱を開けるのが
何よりも恥ずかしかったって。


高校進学を断念して中卒で就職したのも、
全てはまだ幼い兄弟が多い家計が大変だったから。


きっと父もいろいろと遊びたかった中で、


多くのことを理解して、我慢して、
心底生真面目だったんだなぁって。


僕にそれが出来るかと訊かれれば、
到底できないと思います。


そして24歳の頃に母と出逢い、結婚して
僕が生まれました。


同じ中学の同級生だったといいますので、
そういう意味では僕も同じでしたね。


僕が小学校に入る前、父は本家の助言を
信じて消防署に就職しました。


当時では公務員の給料など安くて
民間企業に比べれば人気もなく、


誰でも入れたそうです。


本家のお爺さんはとても先見の明のある方で、


僕が中学校の頃には公務員に対する
世間の目はそれ迄と変わりました。


それでも公務員に成り立ての頃は、
貯金など少しも出来なかったって。


そして出世の際にも、自分が中卒で
多くの面で不遇を味わったって。


そういう意味では、


父の中ではいつもお金と学歴に対する
劣等感と惨めさへの執着が人一倍凄くて、


だからこそ村一番の働き者と言っても
過言ではない程に、


公務員と兼業農家としての切り花の
両立を邁進したのだと思われます。


当時の頃の状況をリアルに話して
くださいましたが、


当時の切り花はとても儲かっていたらしく、


最初は僅かだったビニールハウスも、


ピーク時には12基、そして他者の農家の
大きなハウスもレンタルして栽培しておられました。


新作農機や巨大冷蔵庫までも年を追う毎に
次々に購入して、


職人や経営者としての力量もあり、
働き者の父でした。


『せめて自分の子供には、お金と学歴のコンプレックスを味わせたくない』


そういう意味では、【お金を稼ぐこと】


其れが父の世界の中での何よりの信じる
愛情表現だったのです。


そして父の中では水飴一つを舐めたかった、


周囲に誇れるお弁当を食べたかった
過去でのあの時の想いが、


強烈に原点として残っていたのでしょうね。


そして自分も実際に家族の為に働き続けた
からこそ、分かるものがあります。


自らが中卒で学歴が無かったからこそ、


多くの屈辱や悔しさに歯を食いしばってきたこと。


立派な家を建てたり、外壁やお墓も立派にしたり、


僕が学業で成績が良かったり、


大学に進学して就職することは、


何よりも報われる想いだったはずです。


ですが其れは、あくまでも父の世界
だけでのお話です。


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中学二年の頃でした。


僕はファミコンというゲームに没頭していて、


学業もそこそこに励んでおりました。


テスト勉強は暗号読解みたいで少しも
面白いと思わなかったので、


実は勉強は大嫌いだったのです。


そんな中で僕がファミコンに没頭していると、


父はいつも不機嫌でした。


父が何度も僕に手伝ってくれと頼んできますが、


僕が畑仕事を殆ど手伝わなかったからです。


畑仕事を手伝うというよりも、


僕は父との時間が好きではありませんでした。


その頃には父は仕事の鬼になっていて、


父との時間も殆どなくて、


幼少期からのあまりの接する時間の少なさに、


父との心の距離は確実に離れてゆきました。


何よりも母や祖父への扱いをみれば明らかで、


畑仕事での一作業員としてみられるのが
僕の中でとても窮屈で嫌だったのです。


普段の生活の中でお互いに関心がないのに、


父を思い遣る気持ちは起きませんでした。


心が繋がってなくて、


僕はもっと父と何気ないことに笑って
過ごしたかったからです。


僕の関心するものに理解して欲しくて、


早い話が、僕は幼少期からもっと
構って欲しかっただけだったのです。


それでも父には人手がなくて、
僕に何度も頼んでは、僕も断り続ける日々。


僕が断ると、その怒りの咆哮を
表現するかのように、


もの凄い急発進で勢いよく軽トラックを
バックしてゆく音がとても嫌いでした。


幼少期からずっと観てきておりましたが、
機嫌を損ねると怒り任せにする父が大嫌いでした。


感情をコントロールできない大人の本性が
僕はとても大嫌いだったのです。


祖父と母は球根植えをする中で、
その間に僕と消毒したかったのでしょう。


でもその思惑の作業員としてしか
みられないのが嫌でした。


拡げすぎた仕事のツケを、僕に
回して欲しくなかったのです。


そんなイライラする父の中で、2、3度だけ畑仕事での消毒のホース持ちをしぶしぶ手伝ったことがありました。


消毒タンクに水を溜めながら薬剤を混ぜ、
畑に消毒しながら伸びてゆくホースを
引いたり巻いたりする作業です。


ところが父は最初から何か怒っていて、


ホースを持つ僕のことなど見向きもせず、


『自分のペースについてこい』と言わんばかりにホースを乱暴に引っ張ってゆきます。


この時に素直に感じたのが、


『それなら一人でやりなよ』という
とても冷めた想いでした。


恐らく仕事では伏せていた本性の顔も、


自分の家族の前では隠さない。


僕達子供の前で平気でする喧嘩も、


世間様には決して見せないその感情も、


僕達家族の前では隠さない。


僕はそんな大人が大嫌いでした。


本当はお互いに良かれの思惑や
優しさが確実にあったのに、


きちんと話さないから実は些細だった
だけのことが次第に拗れてゆき、


僕と父との亀裂も次第に大きくなって
ゆきました。


私達はあまりにもお互いに話さなすぎたのです。


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僕も同じ立場として生きてきたからこそ、


父のお気持ちもとてもよく伝わります。


なので現在の僕は、何一つとして
悪く感じておりません。


おそらく多くの方が同じ課題として
ぶつかると思われますが、


自分が何かで成功して自惚れてしまったり、


何かに怒って正直に表現してしまったとき、


気づけずに暴走してしまったり、


思い上がったことを口にしてしまったり、


感情の勢いで決して口にしてはいけない
ことを言ってしまったり、


誰でも一度はあると思うのです。


これくらいならいいだろうって、


これくらいしても構わないだろうって、


命に対して乱暴にしてしまうことって
誰でも一度はあると思うのです。


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母のことも大切に綴らせてください。


母は自分が小学生の頃に母親が他界してしまい、


母の愛の何たるかをよく識らずに
青年期を過ごされ成人になり、


父と結婚して僕を産んでくださいました。


同じく僕が小学生のとき、母も自らの
過去を語ってくださり、


その中で強烈に覚えているのが、


母親が居なくて、とても寂しい思いを
してきたこと。


父からプロポーズされたとき、

決して農家の畑仕事はさせないからと言われたけど、騙されたと言ってたこと。


3人目の妹を産んだとき、もう子供を
産みたくないと言ってたこと。


そんな中で母はとても頑張っていて、


必死に一人の人間として頑張っておられました。


僕はお婆ちゃんが大好きだったけど、


姑としてのお婆ちゃんは母をよく
駄目出しされてたり、


周囲の人達に悪口を言ってたのを覚えています。


そして僕が実家を去る47歳頃に
初めて識ったことですが、


何気なく立ち寄った地元の居酒屋で、


お店のオーナーさんがつい口を滑らせ、


お婆ちゃんが父を過剰な程に溺愛していたこと。


この何気ないきっかけから、僕の中で
バラバラだった全ての経緯が繋がってきて、


母はお婆ちゃんをとても恨んでいたんだなぁって。


僕の中で人を恨むとは、その方を
理解したかった証拠であり、

その人の真実を見誤っていた
事実への自白であり、

この世界に対する自らの
無知への自白であり、

その無知を解消する為の旅路へと
選択したことを意味する。


『怒りは無謀をもって始まり後悔に終わる』という格言もそのメカニズムへの真実を詳細に示されていて、

恨みとは復讐であり、怒りという思い上がった行為だから、

何かや誰かを恨むという行為は、最終的には後悔を以て自らの無知や思い上がりに気づく為の旅路であり、

その方を理解したかった愛の旅路へと選択したことを意味するとなり、

拠って恨みとは、自らの後悔という触媒を以て自らの愛の無知を解消する為の前向きな最終手段となります。

現時点において僕にとって怒るとは、そういう前向きな愛の結論に過ぎません。

そういう意味では世の中の戦争もまた、人類としての無知。

あくまでも僕の一意見に過ぎませんが、

僕にとっての戦争とは、そういう位置づけとなります。


僕もずっと母親を恨んできた
人生だっただけに、


その意味が成すことが何であるかを
僕は自らの人生で悟っておりました。


人を恨むってとっても怖いことで、


その恨みを晴らそうとすればする程に、


実はその醜さが自分であった事実を
まざまざとその後に歩んでしまうものです。


僕が社会に出ても、自分の子供を育てて
いても経験したことですが、


母を恨んでいた頃の僕は、気づいた時には
大嫌いだった母そっくりな自分がおりました。


いつしか思い上がっていた自分。


そんな思い上がっていた醜い自分を、


当時の息子が気づかせてくださったのです。


もう取り返しのつかないことを
父親としてしてしまいましたが、


僕は息子に心から謝り、それからは
息子への謝罪の日々でした。


今でもそうですが、


決して許されるものではないかもしれませんが、


僕は息子に「あの時は本当に申し訳なかった」と、正直に息子に謝るのです。


息子がどんなに立派になったとかは
僕の中ではどうでもよくなり、


息子や娘が元気にやってるだけで幸せ。


息子や娘が生きているだけで幸せ。


本当に少しずつですが、


僕はそういう価値観の存在へと
なってゆきました。


この影響は、お陰様でみー♡さんと
出逢えたことで更に拍車が掛りました。


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母は自分を護ってくれる存在が少ない中で
僕達子供を懸命に育ててくださいました。


自分のものや自分のことには後回しにして
僕達子供に愛情を注いでくださいました。


しかしそんな中で、とても情緒不安定な
母がおられました。


特に朝はいつも機嫌が悪くて、


特に感情のコントロールが苦手で、


僕達子供に八つ当たりすることが大嫌いでした。


でもこれって世の中を識ってゆくと
実は割りと多かったり、


至極自然な人間の成長過程の一つだと
僕は思うのです。


それでも母親の存在って子供にはとても
大きくて、


母親から言われた言葉は、強烈に心に
刺さるのです。


今で想うならば、


母は父から「愛してる」と言われない中で
人生を過ごしてきました。


時代背景や父の性分もあると思われますが、


これって健やかに自己肯定感を
維持するのは無理に等しいと思うのです。


今ではこうして母を恨んでおりませんが、


それでも母のネックは、決して口にしては
いけないことを口にされる方でした。


どう見ても自らが間違っていたのに
それを正直に指摘すると逆上して
コントロール不能となり、


「テメェはしぶてー人間だな」


「お前なんか産むんじゃなかった」


「情けねぇ」


「親を何だと思ってる!」


「それが親に言う言葉か!」


「このキチガイが」


こんな言葉を並べては、いつも決まって
本件と関係のない昔の話を蒸し返される方でした。


母にとって自分の威厳や尊厳を護る為ならば全てを犠牲にされる方でした。


それでも冷静な母の本心はそうではなくて、


幼き頃に十分に愛されたかった自分。


愛して欲しいと素直に言いたい自分。


尊敬して欲しいと願う自分。


この強烈な自分への原点が母の心の叫び。


しかしそれをずっと隠してきたから、


それが反動となってそうなっていただけ。


僕も若き頃には気づけなかったことですが、


親と子供はある意味全くの別物の存在なのに、


つい自分の目線や物差しを臨んでしまいがちです。


一人一人には確実に心の闇を抱えていて、


一人一人には相応の言い分や理由があって、


少しずつそれを消化して、昇華して
生きてゆく。


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僕が妻と結婚して同居した際に、
母が言ってくださった一つの約束。


「私はお婆ちゃんにとても文句や皮肉を言われて過ごしてきたから、お嫁さんは大切にしたい。」


その時の想いはとても真摯で正直な想い
だったことは、僕も今でもよく覚えています。


ところがいざ蓋を開けてみれば、


気づけば僕の居ない場所で、妻に小言を
重ねる詰まらない姑と化した母がおられました。


ここで僕が結婚する頃、


「最近は修が家に居ないから、なかなか服を買いに連れて行ってあげられない。」


そう何気なく世間話をされる母の本心を聴き、ゾッとした自分がいました。


昔から何故に過剰な程に、僕の世話を
焼きに来られるのか。


母の世界では僕は永遠に母のものであって、子離れできていないんだなって。


そう改めて過去を思い返したとき、


母の世界の中での僕の結婚は、『妻に息子を取られた感覚』だったのだと思われます。


そしてその感覚はお婆ちゃんと母も
ある意味全く同じで、


お婆ちゃんも、きっと母に父を取られた様な感覚だったんだなぁって。


お婆ちゃんがあれだけ母にきつく当たったのも、


母の未熟さを通して、自らの親としての未熟さ、思い上がりに気づけなかったんだなぁって。


結局は三代を通し、歴史のエネルギーの
声が聴こえてくるのです。


お婆ちゃんも母も、お爺ちゃんや父から


「愛しているよ」

「感謝しているよ」


そう言って欲しかったんだなぁって。


一人の大切な存在として、愛されたかったんだなぁって。


僕からしてみれば、その部分では
お婆ちゃんも母も似た者同士であって、


気づける気づけないは別として、


母の言い分が相応にあったように、


僕の理論では今ではお婆ちゃんの過去の
真実も、今では視えていたはずなのです。


母にとってそんな自分の人生を
心から愛することは、


実は恨んでいたお婆ちゃんの人生を
愛せることに等しい。


既に恨みのメカニズムを綴りましたが、


僕にとって恨むとは、後の後悔と無知だった自らへの自覚を触媒とした、時間をかけた旅路の世界への不器用な最終手段の愛です。


是が、僕が人生をかけてゆっくりと導いた
論理的な結論です。


拠って是迄に母が怒りで投げかけた僕への乱暴な言葉は、全てが【後の自らの正体】を既に自らの口で預言したものです。


僕が何故に相手様の未来や往年を図ったかのように覗けるのか。


まだまだ未熟ですが、僕は言葉や感情の意味やメカニズムが織り成すマコトの本質を理解しているからです。


その構造メカニズムへの一端を、論理的に上手く伝わってると嬉しいなぁって思います。


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父は35年程勤めた消防署を無事に定年退職され、


国からも栄誉ある叙勲の表彰を受けられました。


父にとって欲しかったものはある意味
全て手に入った様子で、


それからの父は次第に全ての責任と
離れる選択をされました。


村の役員も僕へと引き継ぎ、


次第に畑仕事も一切しなくなりました。


世間ではよく耳にしていた話ですが、


仕事に明けてくれていた方が急に
退職されると、


こうも目に見えて衰えてゆくものかを
まざまざと眼にしました。


建前は如何にもよく聴こえますが、
父の中ではもう一切の責任から
離れたかったのでしょう。


長年一緒に暮らしてきたので、その本心は
よく聴こえてたのです。


気づけは庭で煙草を吸うだけが日課となり
悠悠自適に過ごされておりましたが、


感覚による機敏さも、身体を動かすスピードももの凄いスピードで衰えてゆかれました。


その頃に口にされておられましたが、


もう後は葬式代をきちんと残すだけで
いいと仰っておられました。


「遺産は一切残さなくていいから、 元気な内に母と旅行にでも沢山行くといいよ」と促しても、父にはもうその気力もなかったのです。


日課の散歩や母との日帰り温泉は
たまに行っておられましたが、


行動も気力も次第に痩せ細り、
貧しくなってゆかれました。


日常で人と接する関係を断ち切ってしまうと人間の衰えは本当に恐ろしいもので、


全ての気力が無くなってゆきます。


次第に昼間に眠るようになり、昼夜が逆転し、生活リズムも乱れ、


夜中に食事もするようになられました。


ある時夜中に騒がしかったので下に降りると、冷蔵庫の食材を食べてしまい、


それが継続されると、まるで爬虫類の
ようになってしまった父がおられました。


そこで僕はハッと悟ったのです。


是には僕の世界の中で、確かなる根拠があるのです。


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話は僕が大学を中退した22歳に戻ります。


僕は21歳の大学4年の春、もう卒業単位は取得したので、後は卒業研究と就職活動のみとなりました。


表向きは順調な日々でしたが、僕の中の精神世界は既に限界を迎えておりました。


僕は父や母の世界や想いを察して両親の望むレール通りに生きてきましたが、


このまま希望通りに公務員になってゆく自分に理解しつつも、僕に公務員としての内面的な資質がないことを自覚していたこと。


僕の中では我慢して生きてきたので、もう人の敷いたレールで生きることに限界だったこと。


余りにも見え過ぎている先の人生に
何の燃えるものがなくて絶望してたこと。


そして何よりも、僕の中身がなくて
空っぽだったこと。


それなりにアルバイト経験も豊富に
してきましたが、


僕は中身をまるで磨いていない
上っ面だけの軽い人間だったのです。


両親には本当に申し訳なかったですが、


いろいろなことに限界だった僕は、


初めて両親の敷いた人生のレールを
拒絶し、大学を中退しました。


それでも諦めきれない父は僕を
何度も説得し、留年として再び
4年生から始めましたが、


僕の中での気力は既にありませんでした。


その21歳から23歳迄の約2年間
僕はニート生活となりました。


当時は中学2年の頃からずっと
お爺ちゃんの背中を洗っていたので、


そのお小遣いや友達との賭け麻雀、
親からお金を盗んでおり、


生活リズムも乱れに乱れ、


昼夜が逆転して夜中に冷蔵庫を漁っては、


煙草とゲーム三昧に没頭する日々でした。


友達との約束も破りがちになり、


早い話がクズ人間の生活の日々でした。


そんな中でも両親達の畑仕事は
相変わらず続いていて、


遂に僕に聴こえるように


「本当に情けねぇ」


「お前なんか産むんじゃなかった」


そう言われるようになりました。


何度か父が僕を説特して話すことも
ありましたが、


幼少期からずっと語り合う関係や仲では
なかったので、


表向きは至極真っ当に聴こえても
僕に響くことはありませんでした。


そんな中で不満の頂点に達した母から
決して耳にしたくないことを言われたとき、


僕の中の何かが爆発して母親を
コテンパンに突き飛ばし、


思いきり胸ぐらを掴んだのを覚えています。


母とは生涯でも5回ほどそうした記憶があります。


そしてある時夜中に冷蔵庫を漁っていたとき、


起きてきた父から「まるで鼠だな」って言われました。


僕はみー♡さんと出逢えたお陰で
こうして至福も味わえる中で、


望むものが全て叶ってゆく、希望溢れる感覚の健やかな世界を識りましたが、


望むものが全て実現しない、無気力な感覚の不健全な世界もこうして識っております。


何でも可能そうな自信に満ちた感覚と、何でも不可能そうな無気力に満ちた感覚。


心の振動数の高い自分と
心の振動数の低い自分。


出来る者としての気持ちと
出来ない者としての気持ち。


その両者は、永遠に覚えておきたいなぁって。


僕の長い人生の中で沢山の経験をしてきましたが、


両親から見放さられるって、とっても辛かったです。


あくまでも僕の世界の感覚や認識に過ぎませんが、


それだけに、これには深い意味があるのです。


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僕は約7年間、一日一秒を惜しんで過ごした少年野球指導者としての経験がありますが、


この時に頂いた貴重な経験のお陰で、一生を学べる程の財産となりました。


その学びの中でもとりわけ輝いておられるのが、


【相手様に放ったエネルギーは、ほぼ1ミリの誤差もなく自らに還ってくる】というものです。


相手様に称賛や賛辞を込めれば、同じ質の称賛や賛辞が後の自らに還ってきて、


その時の自らの行為の愛の本質を
後の未来でまざまざと実体験する。


相手様に非難や軽蔑を込めれば、同じ質の非難や軽蔑が後の自らに還ってきて、


やはり同じようにその時の自らの愛の本質を後の未来でまざまざと実体験する。


そのエネルギー行為に、どれだけの健やかさや愛情が込められていたのか。


そのエネルギー行為に、どれだけの不純や憎しみが込められていたのか。


この法則性が確かなるものと仮定したとき、


同じエネルギーを放つならば、


なるべくどのようなエネルギーを放つのがお互いにとって賢明なのか。


あらゆる道徳や道理、倫理観すらも超え、


全ての認識すらも超越したとき、


自然界一つを取っても、


実際にはそのエネルギー循環しか
存在していない事実を、


僕は自らの実体験でまざまざと実感した次第です。


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その認識の下で話が戻りますが、


父がお爺ちゃんの面倒をみる中で、


新しい家を建てる際にお爺ちゃんから1000万円を用立てていただいたとき、


「俺にはもう一銭も残ってないからな!」というお爺ちゃんの憤ったあの言葉は今でも鮮明に覚えていて、


これって絶対に未来の自分に還ってくるなって。


子としてお爺ちゃんをどのように扱ったかで、


今度は自らが父親として体験するんだなって。


だからこそ僕があのニート時代での本当に辛かった時に、


父が僕に贈った行為そのものも、


父が僕に抱いていた大きな思い上がりも、


きっと自分に還ってくるんだなって。


だからこそ今度は昼夜が逆転して冷蔵庫を漁る父を見た時に僕が爬虫類のようだと感じた感想も、


僕に「まるで鼠だな」って感じた感想も、その時の父の心を感じ取っておりました。


こういう風に僕に失望していたんだなって。


そして同じように、お爺ちゃんも若き父に対してもっと心情を慰労していれば、


きっとこういう結末にはならなかったんだろうなぁって。


そして実際に、現実はそれをまざまざと証明するかのように動き出します。


あれだけ全てを犠牲にして働き稼いだお金も、僕の大学中退で水の泡と消え、


お爺ちゃんの失望までさせて捻出した1000千万円も、弟の2度におけるサラ金返済で水の泡と消え、


父や母が必死に稼いできたものは、次々と崩壊の一途を辿り始めたのです。


僕のLの認識に間違いがなければ、この世界は我々一人一人の覚悟を常に問い続けている。


そういう意味では目的を果たす手段とは、常に何処までもこの世界から正確に問われ続け、正確に裁かれてゆく。


この愛の世界にとって肝心なものから目を逸らしてしまったとき、おそらく限りなく全てが軟弱な愛の事実として脆く対消滅してゆき、


この愛の世界にとって肝心なものから目を逸らさなかったとき、おそらく限りなく全てが確固たる愛の事実として堅く存在し続ける。


古来から歴史を通して、エネルギーを稼ぐ手段は問われ続け、我々一人一人の魂の軟弱と確固は常に問われ続けている。


心の底から笑って健やかに生きてゆく為に、


実は何に怖れてよくて、何に怖れてはいけないのか。


愛する後世の為にその答えを導き、限りなく見定めてゆくことが我々霊長類としての生命の本懐だと、現時点において僕は結論しております。


僕は父との人生をこうして体験しながら、


同時にお爺ちゃんと父との心のすれ違いもリアルに体験し、理解しておりました。


だからこそ、僕の代でこれを終わらせたいなって。


僕が過去に父や母からどうされたとか、


どんな酷いことを言われたとか、


そんなことに執着するのではなくて、


その時のお爺ちゃんや父の想いや言い分を愛を以て心から理解して赦すことなんだなぁって。


だからこそ僕はそう選択してきた父や家族に対して軽蔑、恥や名折れと感じるのではなく、


同じ一人間としてのできない部分、


弱者としての部分を、心から愛せることなんだなぁって。


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3年程前になりますが、


僕が離婚して実家を去って半年程経った頃、母が自殺未遂をされました。


僕はその旨を職場で聴いてすぐに駆けつけましたが、


その時には救急車が到着しておりました。


話の様子から家庭が崩壊したことに自責し続け、自暴自棄になってそうされた様子。


ところが話の内容の様子や挙動から、嘘を吐いてるんだなぁって。


死ぬ気なんて最初から毛頭なくて、


その話の様子は嘘で、こうして騒ぎを起こしてまで周囲の同情や理解が欲しくて、


僕に戻ってきて欲しかったのです。


僕は長年母と暮らしてきたので、


目的の為にはどんな知恵を働かせ、


母のしぶとさや腐った性根は
心底理解しておりました。


欠してここでは言えない様な内容のことも、本性を表せば平気で口にされる方だったからです。


場が落ち着けば、僕は黙って立ち去る予定でしたが、


同情して心配で駆けつけてこられた父の兄弟の方達から、


「両親をちゃんと面倒みてくれるよな」と言われたとき、


是迄に敢えてずっと圧し殺してきた僕の本音は、堰を切ったように崩壊しました。


「家庭の本当の事情も識らないあなた達に何が分かる!」


「あなた達の価値観を勝手に押しつけるんじゃない!」


少しばかりの遺産相続のお金で長い兄弟喧嘩をする何も事情を識らない方達から、すぐに表向きの情に流される方達から、僕はそう言われたくなかったのです。


「僕は両親の面倒はみません」


そう僕がハッキリとお伝えすると、


「お前はそういう奴だったんだな!」って、周囲から非難の声が上がりました。


そんな流れに母も逆上し、


「こっちこそテメェなんかに面倒なんかみてもらいたくねぇわ!」


それに対して周囲の方達は何も気づかずに言いませんでしたが、


僕は今回における母の嘘を改めて確信したと共に、自殺未遂における母の言動が嘘偽りであったことを、御自身で自白されたのです。


先程まで自らの失意や自責から本気で自殺まで図った方が、そんなことを口にできるでしょうか?


そんな一連の騒動でしたが、


後は後のお互いの行動が証明すると
理解していたので僕は自宅へ戻り、


再び実家を訪れることは、暫くありませんでした。


それから一年近く経って再び実家を訪れたとき、


もう僕の識っていた父と母はおりませんでした。


まるで生き成仏のように穏やかな
顔をされていて、


何かの憑き物がとれた様子で、
僕に対する邪気もなかったのです。


そして自殺未遂の一件から、今度は弟が両親を面倒見ると言ってくださり、


自宅へ住み込むようになりました。


両親は学業では僕にお金を全て注ぎ、弟妹に対しては期待もお金もかけませんでした。


弟や妹達はさぞや不遇や冷遇を
感じてきたはずなのに、


気づけは一番子育てに手を抜いていた弟が、今では両親の面倒をみている。


弟妹達は両親の本性を識らなくて、


これにも色々と深い事情があるのですが、


終わってみれば、とても皮肉な結果だなって。


そしてその後の父は認知症が進み、


弟の丁寧な対応により、一人養護施設に入りました。


タイミング的にコロナウイルスの影響もありましたが、それ以来僕は父の顔を見ておりません。


埼玉を去り、こうして四国へ旅立つ前、


僕は母と弟妹達に「大好きだよ♡」って、最期の挨拶に行きます。


そして当時の離婚前に情緒不安定だった頃、


僕の余裕の無さから母親と再び激しい喧嘩となり、再び耳にしたくないことを勢いで口にされたので、僕は母を思い切り突き飛ばして暴力を振るいました。


その際に遊びにきていた妹の娘を怖がらせてしまったり、


僕に好意を抱いていてくださっていたのに、僕は冷たく接してしまったり、


僕の未熟さから彼女にとても悪いことをしてしまったこと。


最後の挨拶の際に、あの時の僕の過ちがずっと心に引っかかっていたので、姪の彼女に「あの時は本当にごめんなさい。」って、謝りに行きました。


当時はまだ小学校に入りたての彼女も、今ではすっかり立派なお姉さんになっておられていて、笑って許してくださいました。


本当に申し訳ないなぁって感じていただけに、とっても有り難かったです。


僕の大切にしている一つですが、どんな年齢になっても、自分が間違ったときは素直に謝れる大人で居たかったのです。


その時に交わした弟の最後の言葉が
とても印象的でした。


今では親戚の方達も、妹家族も、
誰も実家に寄りつかなくなったって。


少しだけ玄関を覗きましたが、


荒んだ家の様子が、日常における全てを正直に物語っておられました。


何が正解かは僕にもよく分かりませんが、


僕は健やかに、笑って生きていきたいと改めて決意したのです。


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『僕が生きているだけで幸せだよ』って。


一度でいいから、両親からそう言って欲しかった。


そしてそれを叶えてくださったのは、みー♡さんでした♡


僕は心から嬉しくて震えてしまって、


喜びの涙が止まらなかったのを今でも
大切に覚えております♡


一度も両親からそう言って貰えなかったからこそ、


自分の子供には、今後もずっと伝え続けたいです♡


僕はあの両親だったからこそ、僕はみー♡さんと出逢えたし、


みー♡さんが生きているだけで、僕は幸せです♡


両親が生きているだけで、僕は幸せです♡


子供達が生きているだけで、僕は幸せです♡


そう心から言えるようになれました。


それでも今回両親に心を寄せることは、


僕にとってはその本人の魂そのものを感じることなので、


その深い闇に周波数を合わせることは、


僕の魂の波動も随分と下がりました。


あまりに深過ぎる闇に同調するとなかなか戻ってこれなくて、


現在の自分の現在地を何度も見失いそうになっておりました。


頭では分かっているつもりでも、


取り返しのつく内に、


父も母も戻れなかったんだなぁって。


健やかな自分に戻れなかったんだなぁって。


偉そうな自分に勝てなかったんだなぁって。


恥ずかしさや弱さを出す自分に、


勝てなかったんだなぁって。


僕は誰よりも心の弱い人間だから、


僕は偉くもなくて、尊敬されたり、
凄くなくてもいい。


ただいつまでも初心者や弱者の心を忘れずに、


「僕もそうだったよ♡」って。


そう優しく笑って在れる存在で居たいです♡


まだまだ全てを語り尽くせないけど、


以上が僕の抱えていた闇です。


最後にそう導けたことが、僕にとっての
必要な体験に過ぎませんでした♡


みー♡さん♡


何度も現在地を見失いかけた中で、


ずーっとみー♡さんが灯台のように


明るく光を灯してくださっておりました♡


僕がこうして戻ってこれるように、


ずーっと支えて愛を贈ってくださっていたこと♡


お陰様で、再び戻ってこれました♡


本当にありがとうございます♡


そして長くお待たせしてしまってごめんなさい。


僕はあなたを愛しています♡


こころから♡


ー雲奏ー