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『清き川に清き水は流れる』

現在とても魂に響く、美輪明宏さんの名言。


心が美しい人と付き合いたければ
先ずは自分の心を磨くこと


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この世界は、究極の自己責任の幸せな世界。

其れは、究極の平等な世界。


自分の身の周りの全ては
自分の写し鏡に過ぎないから。

現実とは、心の写し鏡であり
結局は、自分次第であること。


この素敵な事実に、僕は心から嬉しく思います。


ここから思索する。


『自己責任=幸せな平等』

美輪明宏さんの崇高な理性は
そう有益に導かれておられます。


この多くの情報が流れ、飛び交う中で

どんなエネルギーや情報に惹かれ、焦点するのか。


『今ここ』に感じたものの連続が

常に未来に感じ続ける連続に
過ぎないのであれば、

【どんな振る舞いを今ここに発するのか】

もうそれだけに尽きると、僕は思われます。


幸せとは感じるものであり、

自らの振る舞いで、如何様にも
構築できるものなのだから♡


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最も重要だと感じるものは綴ったので
以下は余談に過ぎません。

興味深い方は、どうぞお楽しみください。


今現在、多くの情報が飛び交っております。

陽(ひなた)口、世辞、賛同、あらゆる随喜功徳。

随喜功徳とは、あらゆることに心から喜び、嬉しいと思い感じること。

そのようなエネルギーにばかり普段焦点すれば

必然と心は澄み、清らかになり、整います。


陰口、悪口、皮肉や批判、あらゆる誹謗中傷。

そのようなエネルギーにばかり普段焦点すれば

必然と心は濁り、汚れ、乱れます。


心を清らかにするのも普段の自分ならば

心を汚してしまうのもまた、普段の自分。


今ここに、清らかな心へと選択するのか。

今ここに、汚れた心へと選択するのか。


一人の人間が一人の神でもある所以は

その両者をいつでも選択できる
自由があるから。


幸せとは、自らの手で掴むものであり

幸せとは、自らの手で離すものでもある。


拠って自らをいつまでも不幸だと嘆く者は、

実は、自らの手で幸せを離してきたに過ぎない。


常日頃から喜びや嬉しいを
心から口にする者は、

常日頃から今ここの瞬間に健やかを向け
心清らかな選択をしてきたに過ぎない。


常日頃から悲しみや悲しいを
心から口にする者は、

常日頃から今ここの瞬間に不健康を向け
心汚れた選択をしてきたに過ぎない。


心からの笑顔とそれ以外との分岐点は
常日頃においての心の通信簿に過ぎない。


現実から感じる心は、自らの信じる優しい心を

正直に優しく教えてくれている。


僕の耳には、そう聴こえるのです。


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生きるって、決して綺麗事だけではなくて

随分と酷い現実も観てきました。

随分と悲しい現実も観てきました。

随分と命に厳しい現実も観てきました。

そして僕もまた例外ではなくて

随分と命に無礼で、乱暴なことをしてきました。

それに対して、本当に申し訳なくて
心から反省し、自戒しております。

自らの無知に、弁解の余地もありません。


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同時に、現実からは僕はこう視え、聴こえます。


あなたがそれだけ酷いことをするのは
同じ酷い人に出逢ってきたから。


あなたがそれだけ悲しいことをするのは
同じ悲しい人に出逢ってきたから。


あなたがそれだけ命を傷つけるのは
同じように傷つける人に出逢ってきたから。


あなたがそれだけ心が醜くなって
しまったのは

同じように心の醜い人と
出逢ってきたから。


皮肉や批難、誹謗中傷される人も同じで
同じようにする人と出逢ってきたから。


でも出逢った人ではなくて、

その人に実は問題なくて、

その行為へ遣り返したい甘い誘惑に
あなたの心が負けてしまったから。

僕にはそう聴こえるのです。


その一方で、


どんなに酷いことをされても

どんなに悲しいことをされても

どんなに命を傷つけられても

どんなに心の醜い行為を眼にしても


その行為に遣り返したい甘い誘惑に
限りなく自分の心が打ち勝ち

その晴らしたい甘い誘惑に
限りなく負けない人もいます。

これって本当に凄いことで
自分に嘘を吐かない人。

自分の理性やまごころに
何処までも正直な人。

人間は自分に嘘を吐けるから

自分に嘘を吐いている人には
凄くて、難しいことだと思います。

自分の臆病や弱さに正直な人には
大したことなくて、容易に感じるけど

実際に実行するには、日々の鍛錬が
必要だと思われます。

心を清らかにする鍛錬を、日々継続
されておられると思われます。


心が優しいって、なんだろう。

心が優しいって、どういう振る舞いを
指すのだろう。


【思い遣りのある振る舞い】

時の流れは、其処を我々一人一人に向け
問いているように聴こえるのです。


ー雲奏ー