2005年07月21日
041 元気種 忘却は悪くない。
きのう、両親の墓参りに京都に行ってきました。
母の命日だったのです。
すこし寄道をしたので、お寺には4時ごろになってしまいました。
お寺の人も出かけているみたいで、お墓にお花を供えて帰りました。
墓参りはすごく楽しい行為です。
両親のことでいろいろと思い出せるし、京都には行けるし、なによりも精神衛生的によいのです。
それはわたしにとってだけの事でしょうが、すごくこころもからだも動くようになるのです。
静的に両親のことを思い出し、動的になれるのですから、これはお得です。
もちろん、亡くなったことでの寂しい感情はありますが、いつもココにいると思うと活力が出ます。
母が亡くなって25年たちました。
わたしが20歳になる年でした。
暑い夏でした。
暑い夏になればなるほど、母のことを思い出せます。
けれども、もう母の声は忘れてしまっています。
母のしてくれたことだけが脳裏に残っています。
しかし、自然に忘れることは何も悲しいことではありません。
鮮明に記憶によみがえると余計に辛いこともあります。
ビデオなんて当時なくてよかった。
テープに吹き込んでなくてよかった。
ひょっとしたら写真もないほうがいいかもしれない。
そして過去は全体に溶け込んでしまうのです。
元の姿のように。
母の命日だったのです。
すこし寄道をしたので、お寺には4時ごろになってしまいました。
お寺の人も出かけているみたいで、お墓にお花を供えて帰りました。
墓参りはすごく楽しい行為です。
両親のことでいろいろと思い出せるし、京都には行けるし、なによりも精神衛生的によいのです。
それはわたしにとってだけの事でしょうが、すごくこころもからだも動くようになるのです。
静的に両親のことを思い出し、動的になれるのですから、これはお得です。
もちろん、亡くなったことでの寂しい感情はありますが、いつもココにいると思うと活力が出ます。
母が亡くなって25年たちました。
わたしが20歳になる年でした。
暑い夏でした。
暑い夏になればなるほど、母のことを思い出せます。
けれども、もう母の声は忘れてしまっています。
母のしてくれたことだけが脳裏に残っています。
しかし、自然に忘れることは何も悲しいことではありません。
鮮明に記憶によみがえると余計に辛いこともあります。
ビデオなんて当時なくてよかった。
テープに吹き込んでなくてよかった。
ひょっとしたら写真もないほうがいいかもしれない。
そして過去は全体に溶け込んでしまうのです。
元の姿のように。