家康の散歩道:⑳大刀洗の池の碑
長い期間、浜松医療センターの工事に伴い、一時撤去されて「どうする家康」の期間でも
姿を現せなかった、大刀洗の池の碑が、やっと復活しました。
家康公の正室・築山御前を切った太刀を洗った伝説の池
1579(天正7)年、家康公の正室・築山御前と長男・信康が敵方と内通したとの疑いから、
織田信長の命令で、家康公は2人の処刑を家臣に命じたといわれています。
岡崎城から浜松城へ向かうため佐鳴湖を船で渡った築山御前は、待ち伏せていた家康公の
家臣により命を奪われ38年の短い生涯を閉じました。
その刀の血を洗ったのが太刀洗の池、亡くなった場所が御前谷と呼ばれています。
現在、本来の太刀洗の池は埋め立てられ、浜松医療センター前に碑が有ります。
以上 家康の散歩道:⑳大刀洗の池の碑 でした。