引馬城主、飯尾豊前守墓所 | XVA・休日の撮影記録

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引馬城主、飯尾豊前守墓所

 

3月となり、浜松まつりの準備が、各町で本格的に始まっています。 浜松まつりのルーツ・・

以前、引馬城主、飯尾豊前守の墓所は下池川町の天林寺だと聞いていましたが、何と成子町:東漸寺の境内にありました。

 

成子町:東漸寺によりますと、
引馬城主であった飯尾豊前守乗連が、湖西市鷲津の本興寺から日禮上人を開山として、室町時代後期の天文十二年(1543)に

開創されています。
『東海道を歩く』(浜松市市民部文化財課 2014年)によると、元は浜松城内にあり、堀尾吉晴在城時代の慶長年間に現在地へ

移転したとあります。
 

飯尾豊前守の五輪塔
一般に飯尾豊前守と呼ばれますが、豊前守は親子二代にわたっており、五輪塔は子の連龍の墓とされます。
連龍は今川氏の配下でしたが、桶狭間で今川義元が織田信長によって討たれた後、反今川の行動に出ますが、後に講和。
しかし、永禄八年(1565)氏真によって駿府で謀殺されています。
なお、中区元浜町にある椿姫観音は、連龍亡き後引馬城主となり、永禄十一年(1568)、徳川家康の攻撃を

受け討ち死にした、お田鶴の方を供養するために建てられています。
鬼子母神堂
子に恵まれなかった飯尾豊前守が日禮上人の言葉に従って鬼子母神を信仰し、一子を授かったと伝えます。
一説には、これを祝って大凧をあげたことが、浜松まつりのルーツと言われています。

 

以上 引馬城主、飯尾豊前守墓所 でした。