㊾小市民の独り言《第32弾》馬鹿といったほうがバカなんだよ | ジローのブログ

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山形のことや、身の回りのこと載せていこうと思います

みなさん、おはようございます。こんにちわ。こんばんわ。
山形県寒河江市在住のジローです。
前回のブログが2023-08-11、現在2023ー12ー16なので、だいぶさぼっていました。
山形は12月に入って、だいぶ気温も下がり寒くなって本格的な冬がやってきました。
きっとクリスマスはホワイトクリスマスでしょう。
まぁこれは毎年ホワイトクリスマスなのですけれど。

みなさんはクリスマスはどのようにお過ごしでしょう?
私のクリスマスは、コンビニに生クリームケーキ5号を予約し、マックスバリュでローストチキンレッグを4本購入する予定です。
クリスマスイブにはケーキ半ホールとローストチキンレッグを2本をひとりで食べて、クリスマスに残りのケーキ半ホールとローストチキンレッグ2本を、これまたひとりで食べるという、いわゆる【シングルベル♬シングルベル♬鈴が鳴る~♬今日はひとりで~♬クリスマス~♬】です♬♬…( ;∀;)シクシク

さてそれはさておき、今回の【馬鹿といったほうがバカなんだよ】ですが…

 

子供のころ、相手への悪口の一つとして
A「ば~か」
B「馬鹿といったほうがバカなんだよー」
A「だったらお前は、馬鹿といったほうがバカといったほうがバカじゃん」
B「だったら、馬鹿といったほうがバカといったほうがバカといったほうがバカじゃん」
という永遠の言い合いっこをした覚えがあると思います。

 

これを語るには前置きが必要だと思います。

私は【自分は自分 他人は他人であり自分】【うちはうち よそはよそでありうち】という生き方をしてきましたし、これからもそういう生き方をしていきます。

これは子供のころ両親から【うちはうち よそはよそ】という

私「みんな持ってるから欲しい】

親「みんなって誰?」

私「A君とB君とC君とかみんな」

親「3人しかいないじゃない。それにうちはうち よそはよそなのだから、うちには関係ないの」

という教育の賜物です。

これを言うとたまに「人はひとりでは生きてはいけない。助け合って生きている。だからジローの生き方は間違っている」という人がいます。

私もそう思っていますし、それと同じことを言ってるはずなのです。

それをこれから打ち込みます。

 

 

私は最近のドッキリ番組が笑えません

【ドッキリを仕掛けられた人間がもし自分だったら】という考えが先になって笑えないのです。

他人を自分に置き換えてしまうのです。

なので笑えません。

逆に「よくわらえるな」と思ってしまいます。

笑ってるあなたが同じことをされても笑えますか?

 

同じく、失敗している人や一般的に変な人と言われているを見ても気になりません。

それは、他人だからであり自分だから。

 

失敗してる人が、自分だったら。

一般的に変と言われてる人が自分だったら。

と考えるので気にならないのです。

 

おまけで書くと…

方言やご当地の風習やグルメがあります。

これを他県の人で「おかしい」とか「変だ」とか「よくそんなものが食べられるな。私は無理」という人がたまにいます。

でも、よく考えてみてください。

それって【「おかしい」とか「変だ」とか「よくそんなものが食べられるな。私は無理」】といった人の地元を言ってるのと同じなのですよ。

と私は言いたい。

たとえば、我が山形県に【イナゴの佃煮】があります。

これを「無理だ」といった他県民がいたとします。

わかりやすく言えば、東京の人でこれを言ったとします。

でも、山形県民が【もんじゃ】を見て「汚物のようだ。よくそんなものが食えるな」と言ってるのと同じなのです。(私は思ってはいません。食べたことはないので…)

なので某番組「秘〇の〇ンミンショー」などの番組で「えーむりー」「変だわー」と言ってる縁者さんはブーメランを言ってるように見えてしまいますし、実際ブーメランだと断言してしまいます。

 

 


私は、困っている人がいたら助けたいと思います。
それは、自分が困ってる時に助けてもらったらうれしいからです。

【情けは人の為ならず】ってそういうことなのかもと思っています。


そして、私は他人をけなしたりするのが嫌いです。
それは、自分がけなされた時に悲しくなるからです。
それが【自分は自分 他人は他人であり自分】なのです。

さて今回の【馬鹿といったほうがバカなんだよ】というテーマですが…

 

A「ば~か」
B「馬鹿といったほうがバカなんだよー」
A「だったらお前は、馬鹿といったほうがバカといったほうがバカじゃん」
B「だったら、馬鹿といったほうがバカといったほうがバカといったほうがバカじゃん」

 

お気づきになった方もいると思います。
相手に【馬鹿】と言ったら、相手から【馬鹿】と言われても仕方のない事。
自分が言った言葉は、そのまま自分に言ったのと同じ事。
なのではないでしょうか?です。
この【馬鹿といったほうがバカなんだよ】は、相手に【馬鹿】といった言葉は、自分に言ってるのと同じ、ということなのではないでしょうか?

だから私は【自分は自分であり他人】という生き方なのです。

 

余談ですが、私は【いじめ】と【差別】が嫌いです。

というか、なぜ【いじめる】のか?【いじめる人の気持ち】がわからないのです。

だって【いじめてる相手が、もし自分だったらいじめることなんてできない】と思うからです。

【差別】もそうです。

【他人の見掛けや行動を変に思う事】って【差別】ではないでしょうか?

もしも、【あの人変な人だな】と思ったとします。

だけれども、その【あの人変な人】から自分が【あの人変な人だな】と思われても文句は言えないし、言われて怒ることは変だと思います。

これが【差別】ではないでしょうか?

 

【アダムとイブの禁断の木の実】

この【禁断の木の実】をGoogleのAI生成で見ると

 旧約聖書「創世記」では、神から食べることを禁じられていた知恵の木の実を「禁断の木の実」といいます。アダムとイブは蛇に誘惑されてこの木の実を食べ、楽園から追放されました。

「禁断の木の実」は、善悪の知識の木の果実を指すともされています。この木の実を食べたことで、アダムとイブに羞恥心が生まれました。神様は激怒し、アダムとイブを問い詰めたと言われています。

「禁断の木の実」は、リンゴ、バナナ、イチジクなどであるとされています。雅歌の「産みの苦しみをなし」という部分を「堕落した」と誤訳したことから、りんご→堕落→知恵の樹の実という連想が生まれ、知恵の樹の実はりんごであると解釈されるようになったと言われています 

 

ここに【善悪の知識の木の果実】とあります。

私はこの【禁断の木の実】は【自分と他人の差別を植え付けられた】と思ってしまいます。

この【差別】さえなければ、【奴隷制度】はなかったと思うし、【白人と黒人の差別】もなかったと思います。

でもこの【差別】がなかったら、今のように発展はしなかったでしょう。

他人との差別があったから「あいつより良い点を取ろう」「あいつより速く走ろう」「1番になりたい」などの向上心が生まれます

なのでこの【差別】はこの地球を発展させるのに必要だったのかもしれないとも思います。

 

でもやはり私は【差別】が嫌いなのです。

 

私が子供のころ、よく忘れ物をする子供でした。

そして学校の先生から、忘れ物をしてよく怒られました。

でも、私はその時ひとつだけわからないことがありました。

それは…

先生から怒られるのはわかる。

でもクラスメイト。

特に優等生と言われる人から「忘れ物するのは悪い事なんだぞ!」と言われることでした。

先生は私の事を思って怒った。

しかし、なぜおまえに言われなきゃならないの?

忘れ物をしたのは私であり、私が忘れ物をして、お前に何の関係があるの?

私が忘れ物をしてもしなくても、決してお前に迷惑が掛かっているわけじゃないでしょ?

なのになぜそんなに怒るの?

といつも思っていました。

これが差別です。

怒る相手は「もし自分が忘れ物をたら、クラスメイトから怒られても仕方ない」と思っているのでしょうか?

 

なぜ?

自分の行動は自分の行動であり、他人の行動ではないはず。

 

矛盾?

いえ。矛盾ではないはずです

それは、私が相手に影響が及ばないことを私はしているからです。

 

もしも、異臭をまき散らして歩いているのが自分だったとします。その異臭は他人を不快に思わせる。

これはいじめと同じだと思います。

【異臭を放っているのがいじめてるほうで、異臭を放たれて不快に思うほうがいじめられてるほう。】

 

最近の若者で…

居酒屋や食堂で同僚や先輩後輩、飲み会でスマホ片手に飲み食いしている若者をよく見かけます。

あれは一見「自分は自分。他人は他人」に見えます。私に言わせれば…

スマホを片手にしている人と飲み食いをしていても楽しくはないと思いませんか?

もし自分が好きな異性が一緒に飲み食いをしているときにスマホ片手にしていたら嫌ではありませんか?

なので私はだれかと飲み食いをしているときは、スマホは見ないようにしています。

これが【自分は自分 他人は他人】の正解なのではないでしょうか?

【ながら会話】も嫌です。

【ながら勉強】と同じで、何か(音楽。ラジオ。TV)を聞きながら(見ながら)相手の話を聞くとか、もし自分がされたらいやなのでやりません。

 

【ホスピタリティ】の話

私は熱海でナイトフロントのリゾートバイトを4か月しました。

その時上司に「ホスピタリティを知っていますか?」

と聞かれました。

その時の私は【ホスピタリティ】を知りませんでした。

上司いわく【ホスピタリティとは自分が、お客様(相手)の立場になって接客(接する)するということです。

もしも私が利用客になった時、フロントの人間からどのようなサービスを受けたら私(利用客)は喜ぶか?どのようなことされたら私(利用客)は不快に思うか?と考えながら接客するのがホスピタリティです。

間違えていけないのは、【お客様は神様ではない】という事です。

【ホスピタリティ】は【お客様の奴隷】ではなく【同等の立場】でなくてはなりません。

つまり、相手は相手であり私でもあるのです。

嫌なことをされたら嫌でしょ?

うれしいことをされたらうれしいでしょ?

自分がされてうれしい事は、相手にしてもうれしい事のはずです。

逆に、自分が嫌な事をされたら自分は嫌で、その嫌な事を相手にしたら相手は嫌なはずです。

それが【相手の身になって接客する】

そういう事です」と上司に教わりました。

とても厳しく、そして優しい上司でした。

 

 

【自分が嫌なことをさされたら嫌だからやらない】という事です。

長々と書いてしまいました。

共感してもらえたら幸いです。

 

両親に【うちはうち よそはよそ】と教育されてきたことに感謝します。

 

最後に、一般的に変と言われてる人自身は、自分は変だとは思っていないはず。

変と言ってる人が変なんです。

 

笑わせるためにわざと変な格好をしている芸人さんを見ると「あ~これはこの人なのでこの人にとって普通の格好や行動なのだ」と思ってしまい、面白いとは思えません。

差別がなくなると見た目で勝負している芸人さんは消えてしまうかもしれませんね

そんな小市民の独り言でした。
それでは、みなさまに良きクリスマスが訪れることを願いつつ、へばのー。またです。