日大アメフト部の悪質タックルの件が世間を賑わせている。
加害選手が会見を開き、(20歳そこそこで顔出しして実名で謝罪会見は、すごく覚悟を決めて臨んでるのは分かるが、残酷ショーのようで見ていられなかった。)翌日に監督・コーチが見苦しい言い訳会見を開き、その醜さとお粗末な対応にはネットでも散々論じられ、様々な意見も飛び交い、共感できる意見も多く見受けられ、今更僕ごときが何を言う事もない。
今回ばかりは怒りが込み上げて仕方なく、しつこくネットでニュースやら続報やら、その他色んな議論、書き込みなどを探して読み漁っている。
アメフトに関する仕事はさせていただくこともあるが、さほどアメフトに詳しくもないし、熱心に見てる訳でもないし、完全なら部外者の僕が意見をするのもおこがましいとは思うが、何故自分が今回ここまで腹が立つのかをメモとして記しておく。
なんでも自身の矮小な記憶にすりよせて、勝手に起こった事象・事件に共感、判断するのは危険な事かも知れないが。
今回、自分の中から湧き出る怒りのポイントはいくつかあるが、そのうちの一つは自分も子を持つ親としての怒り。
もしあの選手が我が子なら。
これは被害選手しかり、そこまで追いつめられた加害選手も然りである。
もう一つは、「人生経験不足の為に力ある者にいいように使われてしまうことに対しての既視感を覚えたこと」で、しかも(歳を経てやっと見えた)正体見れば枯れ尾花みたいな結末だったりしたことへの怒り。
我が身を振り返ると、人生経験の浅い若い頃に、先輩やら上司から色々言われっ放し、理不尽な物言いや、感情的に怒鳴られたりしたことだとか、または友人(と信じてた奴)からの暴言、馬鹿にした物言い、裏切りの数々…。
それが当たり前なのだ、それが社会なのだ、こっちにも原因があるのだ(納得できる原因もあったり、今考えても腑に落ちないようなこともあったり)と真剣に受け止め、落ち込み、寝られぬ夜もあったり、いつしか無感情になってた自分もあったり。
しかし今となってみれば、そこまでの考えも裏付けも覚悟もなかったんかいということが(年を経て色々物事が見えて来た事もあって)分かってきた。
そんなただの戯れ言に一喜一憂していたことがトラウマのように蘇ってくるからかもしれない。
(「士は己を知る者の為に死す」というが、M選手もあの会見を見て、その若き心を踏みにじられたんじゃないかと勝手に邪推している。)
今回の事件に見る、閉塞した世界の中での抑圧する者、される者の関係性は、実際日本のあちこちで起こっている問題の縮図のような事件ではあると思う。
最後は心労で入院とは、やることが悪徳政治家並みだが、当事者でもない僕が想像で判断するのはよろしくない。
しかし、実際本当に心労と入院が必要だったとしても、そりゃアンタ覚悟が足りなかったんじゃないのか?
と、僕は言いたい。
関学大の被害にあった選手にも頑張ってほしいし、日大のM選手もまたこれからの長い人生を頑張って生きて行ってほしいと切に願う。
人生はマイナスになってから、だと思う。
マイナスをプラスにひっくり返す過程が人生と言えるかも知れない。
自分を磨くこと。高める事。
馬鹿な連中に人生をいいようにさせるな。
赤の他人でもここまで思うのに、ずっと携わって来た大人たち、最高学府があのていたらくでは何とも情けない。
普段はツイッターで済ましているのだけど、今回だけはツイッターの144文字ではとても伝えきれなかったので、ここに書いた。
怒りのため乱筆乱文お許しください。