以前にも投稿した文を一部手直し、再度投稿
暫くぶりに、先祖の地に行ってきました。ちょっと、途中、小回りして、支倉常長公の墓所を訪れてみました。
私のご先祖も、同じ仙台藩・伊達藩の下級家臣(私の直系先祖も伊達家臣として、山形から移住したようです。常長公のご先祖も同じく移住したようです。)であります。私の本家には、刀、火縄銃、陣笠、古い農機具などゆかりの品が沢山残っています。私が小さい頃には、遊び道具に改造して、叱られたものです。
ご先祖は、同郷で同じ地区に住んでいた常長公とはどんな付き合いだったのか。資料の発見などありませんので、かかわりは度合いは分かりません。
又、遣欧使節団とのかかわりがあったのだろうか?常長公一行の帰国後、幕府を恐れ、不遇だったのか?隠れキリシタン?などなど・・・今は、分かる資料は発見されていません。
常長公が国に戻った当時は、鎖国、キリシタン弾圧の時代になっていて、不遇な晩年をおくったようです。帰国二年後に失意のうちに死去したと伝えられています。
仙台藩は証拠になる資料は極力残さなかったと、言われています。(幕府には秘密裏に、使節の証拠を隠蔽?)
常長公は子供の頃から、私には身近な故郷の英雄でした。
成人してからは、むかしむかしのことであっても、残念無念、人生の不条理、反面にロマンを感じています。
スペインからハポンさん達(常長公の部下が一部途上下船・その子孫、ハポンは日本の意味)から訪問団が来たこともありました。
支倉地区にある円福寺に墓所があり、静かな名所になっています。
登坂(車で可)の奥に駐車可能になっています。すぐに分かります。
川崎町への途中、釜房湖の景色を撮ってみました。
春は、今住んでいる所と比較すると、時期的に少し遅く桜の季節が到来します。
素晴らしい眺めになりますので、ゴールデンウイーク初旬に、皆さんも春には訪問してみて下さい。
支倉常長公にも、お線香を手向け訪問下さい。
合掌
【追記】
興味のある方は下記ご参照下さい。
おらが町の常長公と史実について
http://kawasaki-tsunenagatai.jp/
サン・ファン・バウティスタ号(航海船)
http://www.santjuan.or.jp/history.html
宮城県仙台市青葉区 観光スポット