また集団ストーの被害に遭っていると言う人からメールが来た。

集団ストーカー犯罪(思い込み)を世に晒す事への協力して欲しいそうな。

そんなメールが私の所に来ると言う事は、私のサイトを読んでいない証拠でしかない。

私としては協力する気もないし協力する義務もないので、メールは無視する事にした。


もしこちらのブログを見る事が有れば、「なぜ人は精神を病むのか」の表紙に何故私が「ルビンの壺」を使っているのか、その意味をこの本を読んで理解して欲しいと思うのだが、こうした人は確証バイアスがかかっているから読まないだろうな。

確証バイアスを外さない限り、この人が救われる事は有り得ない。

何故なら、ルビンの壺の顔しか見ようとしない人の目には、壺が見えないからだ。

被害だとか犯行だと言う物から逃れたいのなら、壺を見ようとするしかない。