こんな投稿を見付けた。

集団ストーカー犯罪が社会問題になったことから

集団ストーカー犯罪が社会問題になったことか 2

集団ストーカー犯罪が社会問題になったことから 3

集団ストーカー犯罪が社会問題になったことか 4



なんだかな~と思う。

こうした活動をする事にとやかく言いたくはないが、そうした活動を真に受けた人から幸せを奪う活動でもあるんだよな。


私が集団ストーカー問題に取り組み、電子本とは言え本を書いている理由は、目の前で繰り広げられている悲劇を食い止めたい一心でやっている。

例えばこんな書き込みがある。
集団ストーカー被害者です。私のせいで街の治安

集団ストーカーさえ信じなければ、離婚するとか子供と離れるとか悩む必要も無かったろうに。

この人には私の言葉は届かなかった様だが、何時か思い出し気付いて欲しいと思う。


子供の視点からの相談も有る

どうすればいいのかわからないです。

正に家庭崩壊だ。

これと同様の相談が私の所にも数多く来る。
今もかなり面倒な案件で子集団ストーカーを口にし始めた奥さんを何とかしようとする旦那の相談を一ヵ月受けているが、旦那は解決の糸口さえ見えない始末。

まあ、話が聞ける状態に持っていくまで、少なく見積もっても半年は掛かるだろう。

こうした人にこそ、私の著書を読んで貰いたいのだが、奥さんのチェックが厳しくて情報機器には触れないので読めない。

私の著書には原理的な事を書いているので、原理が分れば有効な対処も見えて来るだろう。

以前はHPで色々と書いていたのだが、HPだと雑音が多くなってしまうので、著書と言う形にしている。

HPの雑音とは、コメントの事だ。
googleの方針で、スマホやタブレットでも適正表示されないHPは検索に反映され難くなってしまった為、HPではWordPressを使用している。

所謂ブログ形式ってやつだ。

そこには当然コメント出来るようになっているのだが、このコメントが結構厄介。

コメントできない様にする事も出来るが、それでは意見を拾えないのでコメント出来る様にしているのだが、そうすると今度は妄想告知のオンパレード。

まあ、正常な人なら記事とコメントの区別は付くのだが、自称被害者系の人は飛ばし読みで自分の都合の良い所だけ読む傾向がある為に記事とコメントの区別が付かない人が多い。

先日もメールが来ていたが、集スト犯罪の実態を暴く為に協力してほしいとか。

記事の内容読んでりゃ、正反対の立場のHPと分かるだろうに・・・

電子本と言う形なら、そうした雑音無く読めるだろうと考え、HPから電子本に切り替えた訳だ。

有料化にも理由がある。
それはスクリーニング。

まあ、時間の経過とともにその有効性は薄れるが、こいつが犯人とか言うコメントと言うかレビューは減らせる。

レビューは内容を読む前から見れてしまうので、犯人扱いのレビューが付くと読む前に敬遠されるだろう。

集団ストーカーと言う被害妄想ガスライティングと言うマインドコントロール」に付いたお自称さんからのレビューは結構辛らつだ。

このレビューを見たお自称さんが読もうとは思わないだろう。

そこでタイトルに集団ストーカーの言葉を使わない「被害妄想解体新書」を書いた訳だ。

これは集団ストーカーと言う言葉を使わない被害妄想の悩みを持つ人向けと言う位置づけにしている。

そして、その著書の中に別の本の紹介と言う形で、リンクを張っている。

先に内容を読んでレビューを見れば、レビューの見え方も違って来るだろう。

その集団ストーカーと言う言葉を表に出さない本でさえ、集団ストーカーと言う言葉を使ってレビューされる始末だ。

なので、新作ではタイトルに「病む」と言う言葉を使用しているし、文中でも集団ストーカーと言う言葉を一度も使っていない。

こうした本の認知度が上がり、一人でも多くの人を集団ストーカー妄想に陥る事を事前に阻止したいと思っている。

集団ストーカーなる物は、被害妄想を持つ人が陥るマインドコントロールなので、病気の症状とは異なる為、治療で良くなる人は結構少ないのが現状だ。

被害妄想の時点なら治療で何とかなるが、集団ストーカーを信じ始めると治療したとしても良くなる確率は極めて低くなってしまう。

なので、集団ストーカーを信じる前の人を如何にして陥らせないかが重要なポイントになる。