集団ストーカーに遭っていると言う人が感じている世界。



彼等にはこうした日常を犯行だと思っている。

彼等の行く手で偶然すれ違っただけで犯人と思われるのだ。

思われているだけなら良いが、茨城であった事件のように通りすがりにクロスボウで撃たれたりする。

集団ストーカーに遭っていると言う「お自称さん」達の増加は危険極まりない。


あの「ぶつかり女」もかなり「お自称さん」臭い。

理由はぶつかられた小学生の通っていた学校の名前だ。

「関西創価小学校」
お自称さん達は、集団ストーカーは創価の犯行だと思い込んでいて、子供を使ったストーキングなどとも言っている。

彼等の衝動は「闘争か逃走」で、通常は逃走に向うので引きこもっている人が多いのだが、追い詰められれば闘争に向かう。

その「追い詰められる」と言うのは、誰かに狙われるとか言う類の物ではなく、孤立化の度合いである。

孤立化が進み、社会との接点が少なくなればなるほど追い詰められた感覚になり、衝動が闘争に向かう。