盗聴器の調査で多くのお宅へ行って始めて分かる事もある。
その一つに、被害妄想を抱いている人が飼っているペットは、猫がダントツに多い事がある。

また、少数派の犬を飼っている人の被害妄想の度合いは低い人が比較的に多い。


昔はそれらに関係性は無く、偶然猫を飼っている人が多かっただけだと思っていたのだが、自分で猫を飼って関連性がある事に気付いた。

犬とのコミュニケーションは表情や言葉だが、猫には表情が無く仕草で猫の気持ちを推し量る。
特に猫は尻尾でコミュニケーションを取る習性がある。




元々犬派だった私には、表情の無い猫とのコミュニケーションに最初は戸惑うばかりで、表情の無さに不気味ささえ覚えた事もあった。

それが慣れて来ると不気味さを感じる事は無くなった。


人間は猿から進化した動物で、猿の顔には毛が生えていない。
猿は表情で気持ちの情報を伝達するので、表情を読み取りやすくする為に顔に毛が生えていない。

人間はその進化系なので、表情のある犬の方が人間のコミュニケーションに即している。

私が猫に不気味さを感じていたのは、表情の無い猫は何を考えているのか分からなかった所にある。


不気味さを覚えた理由を、犬と猫を入れ替えて考えて見る。
犬の表情が理解出来なければ、私が猫を不気味に思ったように何を考えているのか分からずに不気味に思えるだろう。

それは表情の読み取り能力に問題がある事を示唆していると思われる。

また、集団ストーカー被害者などは他者の仕草を「仄めかし」と受け取るのだが、それは猫とのコミュニケーションにも通じると考えられるのだが、猫とのコミュニケーションが上手く行っているかと言えばそうでもない人の方が多い。

例えば、飼い主の側を通る時に飼い主の側だけ駆け足で走って行ったり、猫が隠れるように過ごしていたり、私には体を触らせてくれるのに、飼い主が撫でようとすると逃げて行ったり、そんな猫達が多かった。

調査をしながら依頼者と猫とのコミュニケーションを観察していると、自分の気持ちを猫に投影しているだけで、猫の仕草を自分なりに勝手に解釈して接している事が多いように見受けられる人が多かった。
例えば猫が大きく左右に尻尾を振っているのを見て「うれしそう」と言っていたり、抱き上げた時に尻尾が又の間からお腹に巻く様にしているのに「この子大人しいでしょう」と言っていたり。

猫が尻尾を大きく左右にバタバタ振るのはご機嫌斜めで、いらいらしている時であって嬉しい訳ではない。
尻尾を巻いてお腹につけている時は、怖がっている時だ。
抱いた猫が尻尾を小刻みに振っているのを「この子抱かれると喜ぶの」と言っていた人もいたが、小刻みに振るときは嫌がっている時である。


自称集団ストーカー被害者のHPや動画でも、猫の生態を知らずに「被害」と訴えている人も散見する。

例えば、電磁波攻撃で猫が吐いたとか、カーテンが切り裂かれていたとか。
猫はグルーミングで胃に入った毛を、毛玉にして吐く習性を持っている。
猫草などは、吐くために食べさせる草だ。

カーテンが切り裂かれていたと書いていた人は、始めて猫を飼った事も書いていたので、猫はカーテンに登って遊ぶ習性がある事を知らなかったのだろう。

そう言えば、犯人にカシミアの服に穴を開けられたと言っていた人もいたが、その人も猫を飼っていた。
我が家の猫も、カシミアのマフラーにモミモミチューチューして穴を開けたこともあるし、私の毛布は黒猫のモミモミチューチューで数箇所穴が開いている。

そうした事を目の当りにして来ると、猫を飼っていても猫の事を理解しているとは思えない人が多い印象を受ける。


猫を飼った理由を聞くと、可愛いからとか、オッドアイで珍しかったからとか言う理由が印象に残っている。

何と言うか、動くぬいぐるみ的な感覚で飼っている人が多かった。


そう言えば、先週の「とくダネ!」でイギリスの大学の研究で、どんな猫でも喜ぶ場所を発見との特集で、スタジオで猫を撫でる実験をして大失敗していたが、私などは猫を触る前の段階から「ダメだ」と思った。

あれは犬の触り方で猫の触り方ではない。
それ以前に、猫に挨拶もなしにいきなり触ろうとすれば警戒されてしまう。

猫を触る時は、猫に一声掛ける事が大切だし、特に始めての猫には指を鼻の前に出して匂いを嗅がせる猫のご挨拶も必要だ。

また、撫でる際に猫の視野から手を伸ばせば猫は嫌がるので、声をかけながら死角から手を伸ばして優しく撫でるのがコツだ。
特に正面から手を伸されるのを猫は嫌がる。

出演者の人の撫で方は、見ていて力が入りすぎているようで、指の動かし方も犬にするような動かし方に見えた。
そして何より、逆撫でしていた。
アレでは猫は嫌がるのは当たり前だ。

更に、初めての猫をいきなり抱こうとするなど言語道断、と言うより思いっきり爪を出だされなかった事に感謝しろよと思って見ていた。
まあ、番組に登場する猫なのでかなり人なれしているだろうから爪や牙は出さないと思うが、人馴れしていない猫を無理に抱こうとすると、人の皮膚など簡単に引き裂かれる。

実際に一匹だけ取り残された小猫を保護しようと思って、体長15cmほどの小猫を素手で捕まえた時、本気で牙を出されて手が裂けた。

その時、本気の猫の凄さと、家の猫が手加減してくれている事、猫も気遣ってくれている事を実感した。

猫との接し方の基本は、主導権はあくまでも猫にあり、猫がコミュニケーションを求めてきた時に触り、人間側からコミュニケーションを求める場合は、必ず声を掛ける事だと思う。

撫でる時など、猫に触れる時には猫の視線で考え、自分の手の動きや体の動きが猫から見てどう見えるかを考えて接する事も大切だと思う。

以前犬を飼っていた時、近所の犬好きを自称するオバサンが、我が家の犬を可愛がろうとする時、犬の頭上から手を広げながらしゃがみ込んで撫でようとして、その度に犬は脅えていた。

それを犬の目線で見れば、手を広げて覆いかぶさるようにしゃがみ込んで来られれば、襲われるかのような感覚に感じると思う。

その犬は、そのオバサンが嫌いだった。
散歩の時にそのオバサンを見かけると帰ろうとしたり、帰れないと悟ると私の後ろに隠れていた。

その姿を見てそのオバサンは、「恥ずかしがらなくても良いのよ」と言って、強引に抱きしめていたのだが、犬は後傾姿勢で私に「何とかしてくれ」とでも言いたげにアイコンタクトを送っていた。
その時に、尻尾を振っているのを見て、「そんなに喜んで・・・」と言っていたのだが、尻尾を振っている犬が喜んでいるとは限らない。
そのときの尻尾の振り方は、芝系の犬なのに尻尾を下げて元気なく振っていた。
それは不安や緊張している時の振り方で、喜んでいる時の振り方ではない。


こうした事が、自分の感情の投影である。
つまり自分の気持ちを相手に投影して見ているだけで、実は相手を理解していない。




また、残虐な殺人事件を犯す犯人が、犯行前に猫を殺す傾向がある。
有名な所では「酒鬼薔薇聖斗」、そして酒鬼薔薇聖斗を尊敬していた名古屋大学の女子大生も猫を殺していた。
こうした犯行を犯した者が、猫を殺していたのは日本だけでなく、世界中共通している。

何故、犬ではなく猫なのだろう。
まあ、日本には野良猫は多いが野良犬は少ない事もあるかもしれないが、それは日本の事情であって野良犬のいる外国でも、猫を殺す傾向は変わらない。

身近で捕まえ易いからと言う事も有るとは思うが、犯人の気持ちになって犬と猫を殺す場面を想定すると、犬は表情があるので躊躇いを感じる。
また、犬は人間の目を直視するが、猫は視線を逸らす習性があるので、あまり視線を合わさない。

恐らくそこにポイントがあるのだと思う。

介護犬は介護者の目を見続けるから効果があり、猫は視線を逸らすから介護猫はいない。


犬を飼っていた被害妄想者に重篤な人が少ないのは、この為だと思われる。