今週目を引いたニュースは、なんと言っても野々村議員の号泣会見だ。


普段は遠慮なく突っ込んで質問する記者達が、ドン引きしていた。

記者会見の映像を見ながら、「何だこいつは、境界性? 自己愛性?」と思いながら観ていたのだが、記者の言葉を聞き取れなかったり、途中でフリーズしたり、何度も同じ言葉を繰り返していたり、感情を押さえられず、駄々っ子のように号泣しだす様子から、脳活動の低下が見て取れる。


どんな病気なのかは分からないが、早急に医者に行った方が良いと思う。

色々な意味で、アレはかなり危うい。


野々村議員を見ていると、かつての八街市議を思い出す。

電波系被害妄想を「環境問題」と言葉を変えて、立候補して当選。


税金を使って、自分の電波系被害妄想の対策をしていた人だ。

あの人も、自己愛性が強く出ていた人だったが、この手の人は、電磁波妄想を環境問題といったように、言葉を摩り替えて使うのに長けている。


この手の人の言動を理解するには、何をどのように摩り替えて発言しているのか?そこに注目していると分かりやすくなる。


野々村議員の場合、グリーン車の発言が一つの物差しになるだろう。

現地に行って元気良く活動する為に、勿体無いとは思いつつグリーン車を使用。


つまり、自分が元気に活動出来る為の支出であれば許される。

自分が元気に活動する為に金が必要だから、多少の事は許されると言う事なのだろう。

だから、政務調査費等ちっちゃな事になるのだろう。


この手の人の言う「社会を変えたい」とは、「自分を認めてくれる社会」と言う意味合いが強く、それを言葉のすり替えで、自分の為の事をあたかも他人の為のように装って話す。


この手の人が装って話すと言っても、本人にとっては、自分の為=他人の為と思い込んでいるので、装っている自覚は無く、他人の為に仕事をしているのだから、特別扱いされるのは当然と思っている。


この手の人は、自殺を仄めかして人の口を塞ごうとしたり、同情を引こうとしたり、他人を操ろうとしたりする。

その為、自殺未遂を繰り返したり、リストカットを繰り返したりする人もいるが、本気で自殺する気はないが、運悪く本当に死んでしまう人もいる。


見極めが難しいのは、鬱病を併発してしまった場合、自殺衝動に襲われる。

すると、虚言が虚言ではなくなってしまう事だ。

なので、あまり追い込まない方が良いと思う。


しかし野々村議員の記者会見は、最初から特徴的だった。

記者に対して名刺を要求。


これは、オウム真理教の信者がビデオで撮影しながら取材を受けていたのと同じ行動で、被害妄想に陥った人にしばしば見られる「保身や報復を念頭」に置いた行動である。