ネット炎上の小泉県議が自殺?
そんなニュースを読んだ。

その中で目を引いたのは「ブログ炎上死小泉県議を追い込んだのはテレビか、ネットか?」と言う記事である。

その冒頭にはこう書かれてある。

6月25日早朝、岩手県の小泉光男県議(56) が自宅近くの大志田ダム湖岸で遺体となって発見された。地元警察によると「自殺の可能性が高い」とみられており、報道では小泉県議のブログの炎上騒動との関連が指摘されている。ネットでの集団リンチが人を自殺にまで追い込んだとの見方がある一方で、「テレビ等の過剰な報道が原因だ」という声も出ており、さながらネットと大手メディアの“責任のなすりつけ合い”の様相を呈している。


私は「目くそ鼻くそを笑う」、いやこの場合「目くそ鼻くそを詰る」だと思う。
小泉県議も、ブログを炎上させた人も、メディアの取材も、同じ穴のムジナで、やっている事は同じ。
叩かれた人に気持ちを気遣う事もなく、気に触る相手を感情に任せて叩く輩だ。

小泉県議は病院の対応が気に触り病院を叩いてツイートし、そのツイートを読み気に触った人達がブログを炎上させる。

小泉県議は、自分の非常識なツイートに気付かない、炎上させている人は自分達が追い込んでいることに気付かない、取材班は何時間も家の前で居続けられる家の人の気持ちが分からない。

TVの取材を見ていると常に思う事がある。
リポーターの質問は、質問を通り越して言葉の暴力になっていると思える事が多々ある。



小泉県議はブログが炎上して謝罪しブログを閉鎖、マスコミには叩かれ議会からは追及される。
取り返しの付かない事をしてしまったと悔いただろう。

小泉県議が亡くなると、炎上させていた人達は自分達が追い込んだとは思いたくない。
取材班も自分達が追い込んだとは思いたくない。

そして責任を擦り付け合う。

小泉県議は、擦り付ける相手がいない。

小泉県議のツイートには自己愛性パーソナル障害的な物が見え隠れする。
自己愛性パーソナル障害は自己愛が満たされていれば単なる性格。

自己愛が満たされなくなると、鬱やら躁鬱やら自殺やらの懸念が出て来る。
逆に言えば、ツイートを読めば自殺の可能性は読めると言う事だ。



小泉県議が自らツイートで書いた事が、ブログを炎上させ自分の命を失うまで発展するとは気付きもしなかったように、炎上させていた人達も自殺するとまでは気付きもしなかっただろう。

取材班も自分達が追い込んでいると言う自覚は無かっただろう。

皆、やっている事は同じなのだ。

同じ事をやっている事に気付かない事が問題だと私は思う。

それはいじめの問題でも同じ事。
いじめた生徒、学校、教育委員会、マスコミの取材。
全て立場の弱い物を押さえつけようとしたり、叩いたりする行為は同じで、叩かれる人の気持ちは無視される。


小、中、高、大と、ムジナの教育を受けてきた者が、教師となりムジナの育成をしたり、マスコミに就職して報道したりしている。
そんな中での改革は、いつまで経っても狸同士の化かし合いにしかならないと思う。