多くの自称集団ストーカー被害者や「いじめ」体験者、そして精神的な病を抱える人を見て来たが、そうした人の心の欲求は「愛されたい」「誉められたい」「認められたい」「人の役に立ちたい」の四つに集約される。


逆に言えばこの四つの願望が満たされれば、人は幸福感を味わうのだろう。


しかし、その四つの願望も全て「認められたい」に集約され、それは「人間社会(集団)に於ける自分の居場所の確認」に集約される。


それは、群れを作る動物としての本能だろう。



この四つの中の「人の役に立ちたい」と言う物を少し考えて見る。

「人の役に立つ」為に何かをする事は、確かに人の役に立つ事をしている、人の為に何かをすれば認められたいとも思うし、誉められたいとも思う。

一生懸命尽くせばその思いはなおさらの事。

しかし、人の役に立つ事をすると言う事は、人の役に立ちたいと願う自分の願望を満たしているに過ぎない。

つまり、すでに願望が叶い対価を得ている。

それは等価値だから気付かない。

与えた物に対して帰ってくるものの比重が同じであれば心の天秤は傾かない。

心の天秤が傾かなければ見返りを感じられない。


「人の役に立ちたいと言う自分の願望を満たしているだけ」と言う事に気付けば、他人の評価など気にしなくても良い。

ただ自分の願望を満たす為に邁進すればよい。

自分の願望を満たす為に邁進する事が、認められ、誉められ、愛される事になる。


例えば、飲食店のオヤジが「お客さんの笑顔が見たくて」と言う事がある。

お客さんの笑顔を見ると嬉しくなる、だからもっと美味しい物をと精進する、すると美味しい店と評判になる、つまり誉められ認められている訳だ。


本来仕事とはそうした物だ。


そこに「お金儲け」と言う対価を求めるからややこやしくなる。


アーティストも似たような物で、最初は自分の演奏や自分の曲を聴いて喜んでもらえるだけで嬉しい物なのだが・・・



集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都