自己愛と言う物を考えて見る。
自己愛は誰でも持っている物で、自己愛が無くても困るのだが、自己愛が強すぎるのは困り物だ。
自己愛とか自尊心と言う物が「怒り」と密接に関係している。
例えば、幼少より蝶よ花よと育てられれば、社会に出て蝶よ花よと扱われなければ不満になり、それが怒りに変わる。
裕福な家庭で育ち、欲しい物を与えられて育てば、欲しい物が手に入らなければ不満を持ち、それが怒りに変わる。
家庭では「特別な存在」かもしれないが、社会に出れば有象無象の一人にしか過ぎない。
誰も特別な存在などとは認めてくれず、認めてくれない社会に不満を持ち、やがて怒りに変わる。
空虚なプライドは、不安を呼ぶ。
どんな高学歴を持っていても、社会での実績が伴わなければ誰も認めてくれない。
社会に出るまでの間に「自尊心」が高く育てば「不満による怒り」は高くなる。
その状態が精神ストレスとなり、「単純化した精神疾患の要因 」で書いたメカニズムで精神に異常をきたす。
最近、常々思う事なのだが「精神的強さ」を求めようとしたり、要求したり・・・
しかし、精神的強さとは「自分の精神的弱さを認める事」で、強さを求めればもろくなり、壊れやすくなる。
弱さを認めてしまえば虚勢は不用で楽になり、少々の事では壊れなくなる。
壊れない事が一番強い事ではないだろうか?
子供の将来の事を思っての「行き過ぎた教育」と「豊かさ」が、子供の将来を奪う事になってしまっている。