つい最近の話だ。
娘の進学相談に行った。
娘はデザイナー系の学校を志望していた。
しかし担任の教師は「そんな物は」と言う表現を使い、付属の専門学校や短大を進めた。
親も認めているのに、どうしてデザイナー系を諦めさせようとするのか?
・・・・営業ノルマでもあるのか?
そして一月が過ぎた。
願書などの提出の時期に来た。
娘の友人は、音楽系の学校に進学を希望していて、担任に願書を渡していたのだが、その願書を勝手に破り捨てていたそうだ。
そして、付属の学校の願書を渡されたらしい。
その子はストレートの進学は断念し、一年バイトをして金をためて自費で進学すると言っていたそうだ。
結局、担任のした事はその子の希望する進学を一年延ばし、その子の一年を無駄にしただけだ。
娘も、次の進学相談の時に、デザイナー系を主張したら、馬鹿にしたように笑われたと憤慨して帰ってきた。
他の友人も、決まって付属校を進められ、希望の専門学校や短大を諦めさせられている。
私は、娘がデザイナー系へ行っても将来大成出来るなどとは思っていない。
しかし、自分で目標を持ち、努力する事に意義がある。
他人からみれば馬鹿げた事でも、やらせれば良い。
夢を否定する事は、その世代の子供達にとっては人格の否定と同意義なのだ。
娘が高校に入った時の学校側の説明に「就職率」の自慢があった。
しかし、就職率など何の意味もない。
一年後や二年後に何人の人が同じ職を続けているのだろうか?
進路相談で、学校側の考えで進路を決めさせても、結局は自分の進みたい方向へ行く。
そんな事も今の教師は理解していないのだろうか?
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