私は探偵業と防犯設備の販売をしている。
その関係で、いじめに関する相談もかなり受けているが、ほとんどの場合「被害内容に関して」だけ相談してくる。
多分、その被害内容だけ「親」が聞けば「いじめられている」と思ってしまうのだが、そこに注意が必要だ。

私は、度々自称集団ストーカー被害者の事を取上げて書いているが、同じ構図の場合がかなりある。
ハッキリ言って、自称被害者の被害は「妄想」である。
妄想に妄想を積み上げて被害に脅えているのだ。

ここでは「自称被害者」と言う言葉を使っているが、これは「実際のストーカー被害者」と区別するためだ。
私が今まで受けた相談や調査は、ストーカー関係だけで軽く1000件を超えるが、全体の中で自称被害者は9割前後に達する。

こう言う仕事をしていると、被害を聞いただけでは鵜呑みに信用しなくなる。
例えば、ルーフガーデン付きのマンションに自称被害者が住んでいたのだが「上の階の人がそのルーフガーデンに盗聴器を投げ込んで、その盗聴器も保管してある。」

ここだけ聞けば「盗聴器」も保管してあるのなら「実際に被害に有っている人」と思ってしまうだろう。
しかし、私はその盗聴器を実際に見るまでは信用しない。

事実、この人の「盗聴器」と言っていた物は「レゴブロック」だった。
多分、上の階の人の子供が投げ落とした物だろう。


実は、いじめの相談でもこう言った事が非常に多いのだ。
その中で多いのが「笑われる」「携帯を体育の時間などに盗み見られる」「持ち物などを傷つけられる」と言った物だが、よくよく話を聞いてみるとおかしな話が多い。


例えば「笑われる」でも詳しく状況を聞くと「面と向って笑われている」と言った物は少ない。
「近くで誰かが笑っていた」「漫画を読んで笑っていた」「通りすがる人が笑っていた」など、その人の事を笑っていると「特定」出来ない場合が多い。

「携帯電話を盗み見られる」と言った物も、現場を見た訳でもなく「見ていなければ知る事が出来ない事を知っている」などの理由で「見られた」と思っているのだが、「何故相手がその事を知っていると分かったのか?」と聞くと、その人に直接聞いている人はいない。
多くの場合は「聞えてきた」と言う表現の場合が多く、この「聞えてきた」と言う表現が出た場合は要注意なのだ。
これは後述 する。

「持ち物を傷つけられる」にしても、現場を見てはいないが犯人を限定している場合が多い。
その理由で最も多いのが、それを見つけた時に「誰かが笑っていた」と言う物だ。


つまりこれらの事に「明確な根拠は存在していない」のだ。
そして、妄想とは「根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念」と言う意味である。


問題は、実際のいじめ被害と妄想被害が同一線上で語られる事である。
これは、教育の現場に混乱をもたらす事になる。
こう言った意味では、暴力行為を伴ういじめは見分け方が楽であるが、言葉のいじめは見分け方が困難である。



集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都