もし私が、最も印象的な「食物との遭遇」の経験を挙げよといわれれば、一も二もなくラーメンとの遭遇と答えるだろう。Cup Noodleという名の即席ラーメンとの遭遇、と。
(略)
ブッダガヤで知り合った此経(このつね)啓助さんと、サマンバヤのアシュラムで生活を共にし、やがて子供たちと別れ、再びブッダガヤにもどつてきた時のことだつた。此経さんはビルマ寺に、私は日本寺に転がり込み、またのんびりとした生活が始まりそうだつた。アシュラムでの生活は信じられないくらいに牧歌的なものだつたが、そこから再びブッダガヤに戻ってきた時、ホッとしたことも確かであった。
(略)
不意になにもすることがない日常に連れ戻されてしまつた此経さんと私は、ある日、日本寺の縁側に寝そべりながら、言葉もなく空を見上げていた。
「あーあ」
と此経さんが溜息をついた。
「あーあ」
と私も溜息をついた。此経さんがどんな哲学的な煩悶によつて溜息をついたのかはわからなかったが、私はごくつまらないことで溜息をついていたのである。私は、溜息につづいてそのつまらない「煩悶」をいささか恥じ入りつつ口に出した。
「ラーメンが喰いてえ」
すねと此経さんが頓狂な声を挙げた。
「ほんと!ぼくもまつたく同じことを考えてたんだ。」
(略)
翌日、此経さんが日本寺に駆け込んできて、叫んだ。
「ラーメン!」
見れば手に円筒の白い容器がある。聞けば、サマンバヤのアシュラムへ一緒に行った農大生が、もう日本に帰るばかりだからとひとつ分けてくれたのだという。二人は喜び勇んでビルマ寺の此経さんの部屋に戻り、調理にかかつた。Cup Noodleと書かれた容器を大事そうにテーブルに置き、火をおこした。日本からはるばるやつてきた麺に、ヒマラヤ山中から流れついたに違いない水をわかした湯を注ぎ、インドの大地に育った青菜を加え、土鍋でしばし煮た。かくして大調理の果てに、二つの椀にはわずかだがラーメンらしきものが盛られることになつたのである。二人は言葉も発せず、ゆつくりと、おしみおしみそれを食べた。
こういう時代があったのですね。今や地球上のあらゆるところにラーメン屋があり、即席ラーメンもどんな山奥でも売られていることでしょう。
ここでは省略しましたが、沢木さんが食べたかったのは醤油ラーメンで、このCup Noodleも運よく醤油味であったようです。
醤油と油のまざった味は独特のもので、日本人の心をとらえて離さないのでしょうね。
でもCup Noodleって湯を注ぐのが本来の作り方の筈、煮てしまったら本来の腰がなくなってドロドロになってしまったのではないかと心配になりました。
沢木さんの仏陀のラーメンは高根秀子さん編纂の「おいしいおはなし」に収録されています。(光文社文庫)
もともとは1993年に文藝春秋社より刊行された「路上の視野」に収められているそうです。