最近言っていないので今でもやっているのか、ちょっと心配なんですけれど、神保町の昔からのお店です。
多分私が最初に言ったのは、大学生の頃でした。
私は地方の大学に行ったので、たまに、夏休みとかで帰ってきたときに言った記憶があります。
その後就職して、最初に赴任したのが横浜で、その後が東京でした。
その頃、一番頻繁に出かけたのだと思います。
昭和50年代の終わり60年代の最初の頃だと思います。
ご夫婦と思しき男女二人でお店を切り盛りされていらっしゃいました。
一度、お店が閉じられたことがあります。
時々覗いてみてもいつも閉まっていて、辞めてしまったんだろうと思って、しばらく近づかなかったのですが、ある日、店の前を歩いてみて、営業再開していたことに気づきました。
入ってみると、女性は以前のまま、男性が若い人に代わっていました。
おそらくはお父さんが店を続けられなくなって、息子さんが店に入ったのだと思います。
この頃、私は一番足しげく神保町に通ったと思います。
私が勤務していた会社は当時、土曜日が半日勤務で、午後は休みでした。
土曜日、会社の同僚の多くは、雀荘にしけこんでいたのですが、私は、当時会社があった八重洲から歩いて、神田経由で神保町に遊びにでかけたのでした。
何をするって、古本と古レコードを漁るだけなんですが、それが楽しかったのを覚えています。
横浜にいた頃も、土曜日の午後は、京急で三田まで行って、そこで三田線に乗り換えて神保町へ通ったのでした。
当時と今とでは、神保町も変わりました。
と言って何が変わったのか、というとぼんやりとして記憶が定かではないのですが、、、。
食べ物屋でいくと、キッチングランと似たような店がもう一軒あったのですが、これは割と早くに店を閉めたように思います。残念ながら店の名前を覚えていません。
それから、スイートポーズーが店を閉めたのは、割と最近、コロナの最中でした。
キンチン南海やなんとかいううなぎ屋は場所を変えて頑張っています。
てんぷらのはちまき同じ場所で建替えました。
駿とかいう喫茶店はなくなりましたね。
本屋は...。古本屋はずいぶん店を閉めました。冨山房も今はありません。
それでもこう考えてみると、以前あった店もかなり残ってはいめのですが、私は足が遠のいてしまいました。
街が変わるとともに、私自身も変わってしまったのかもしれません。
下記のフェイスブックに写真が掲載されています。