昔の作家の作品の中から、私が昭和情緒を感ずる部分を抜き出して見ようと思います。

もちろん著作権は犯さないように用心しながらやってみようかと思います。

第一回は 色川武大さんの「喰いたい放題」から。

 

色川さんの喰いたい放題の中に、「おうい卵やあい」という作品があります。

その一節です。

 

 今から十二、三年ばかり前になるけれども、国電目白駅の横手の石段をおりたあたりの路傍に、夕方になると、主婦たちの列ができる。しかしそのへんに店屋があるわけではない。定まった電信柱が彼女たちの目標で、やがて、そこへ七十ぐらいの小柄な老人が、汗のにじみ出た帽子をかぶり、大きなリュックを背負い両手に石油缶をぶらさげて、まるでかたつむりが住み家を背負って移動するような形で、行きも絶え絶えになって現れる。

 お爺さんは毎朝、暗いうちに起きて汽車で甲府の在の方まで行き、たまごを背負ってくるのである。降っても照っても、休みなし。雨降りの日は、商店街のアーケードの下に売り場を作る。

 大量生産の無精卵ではなくて、農家の庭で放し飼いにしてある鶏が、自然産んだたまごである。そういうたまごは、甲府の在でも駅から相当に奥へはいらなければならない。

 

ここから、色川さんの話は、このたまごがこりこりしておいしかったこと、それから闇屋の話しにつながっていきます。

いつ頃の話しなんでしょう。

この作品には年代は書き込まれてはいませんが、昭和30年代という気がします。

昭和30年代というと高度成長期にあって昭和39年にはオリンピックも開催されたそういう時期にあたりますが、まだまだ、その一つ前の時代を生きた人たちがいた時代でもありました。

私は、昭和32年生まれ、その記憶は昭和30年代の終わりころからとなりますが、当時住んでいた船橋駅前に腕を隠して、あるいは失った方が物乞いをされていたりしたのをかすかに覚えています。

このお年寄りもおそらくは闇市のかつぎや稼業から抜け出せないでいたのかもしれません。