【赤字のお仕事】
拉致被害者を「返せ」 「帰せ」では国家的犯罪行為が伝わらない

 昭和50年代に「テレビ三面記事 ウィークエンダー」という番組があった。「新聞によりますと…」で始まる、さまざまな事件をおもしろおかしく取り上げるニュースバラエティーだ。その中でひとつだけずっと強烈な印象を残したエピソードがあった。何とも言いようのない不気味な、えたいの知れない恐ろしさだけが、私の記憶に焼き付いているのであった。

 「海岸を歩いていたアベックが忽然(こつぜん)と消えた」というのがそれだ。ただ、内容の記憶そのものが私の頭の中からほとんど消えてしまい残っていないため、インターネットで調べてみた。複数ある書き込みによって確かに「ウィークエンダー」で「アベックが消えた」という話題を取り上げたことがわかった。発生現場は「福井」らしいことも。そう、これはあの国家的犯罪の「拉致」だったのだ。結果として番組冒頭の決まり文句から言えば、どちらにしても「拉致」を報じた新聞があったということになり、そして「拉致」をテレビが報じていたということにもなる。

 先日、本紙での連載が終了した「私の拉致取材 40年目の検証」。われわれの先輩記者の手によるドキュメンタリーだが、長年積み上げてきた丹念な取材に裏打ちされた手に汗握る内容に引き込まれた読者も多かったと聞く(大幅に加筆された『メディアは死んでいた 検証北朝鮮拉致報道』が、5月23日に産経新聞出版から発売)。

 この中で『1978年12月9日付読売夕刊社会面に載った福井、鹿児島のアベック2組、謎の蒸発』に言及した記述がある。この新聞記事は、もともと第1報では「日本海沿岸などでは密入国事件などがしばしばあるため、地元では組織的な機関による犯罪説」もあるとしていたが、同日付の大阪版夕刊では「日本海沿岸など」が削除され、翌日の朝刊早版に掲載された記事では、その部分が「地元では暴力団などによる組織的な犯罪説」と差し替えられていた。事情はわからないが「拉致の入り口から一晩で引き揚げていた」という。

 

今となっては全てが仮定の話でしかないが、事件そのものの不可解さにもかかわらず、新聞とテレビというメディアが偶然であれタッグを組んだのに、その後の展開がまったくなかったことを見れば、せっかくのチャンスをつぶしてしまった感がある。

 2002年10月、北朝鮮の金正日総書記が日本人の拉致を認めて謝罪、拉致被害者5人の一時帰国が決定し日本に帰ってきたあの日、某テレビ局にいた私は報道局でその動向を逐一追う番組の放送にかかわっていた。みんな「サプライズ」を期待していた。しかし、チャーター機から降りてきた拉致被害者は結局、たったの5人だけだった。何十人と拉致をしたとされる犯罪国家が日本に返してきたのはたったの5人だけだったのだ(警察庁によれば拉致の可能性が排除できないのは883人にもなるというのに)。

 拉致被害者をかえせ。この場合の「かえせ」は「返せ」なのか「帰せ」なのか。北朝鮮による国家的犯罪の拉致が明らかになって久しいのに、新聞紙上で使うための明確な取り決めがいまだにない。産経ハンドブックを含め各社用語集のページを繰ってみたが、それについての記述はなかった。しかし「返」か「帰」のどちらかを使うとしたら、私は「返」でなければならないと思っている。

 「返」なのか「帰」なのか、という疑問に対するヒントになりそうな記述は用語集にもある。「領土を返す」「領土が帰る」だ。これに当てはめて考えてみれば「拉致被害者を返す」のが北朝鮮で、「拉致被害者が帰(ってく)る」のが日本となる。某テレビ局にいた時もどちらがいいのかという話はあった。「拉致されたのは人なのだから『返す』というのはなじまないのでは?」という意見もあったし、ハンドブックの「かえす、かえる」の項や一部の辞書にもそういった記述が見られる。

 しかし、ごく当たり前の日常を過ごしていた普通の家族から一瞬にして全てを奪っていった北朝鮮の非情な行為。人としての尊厳もその後の人生も未来も希望も夢もその一瞬で奪われたこと。その上で奪われたものを「かえせ」というのだから「返せ」以外にはないのだ。拉致は北朝鮮による国家的犯罪だ。北が奪っていった人を家族の下に取り戻すという意志はどうしたって「返」でしか言い表せない。「帰」では国家的犯罪の実態がまるで伝わらないことになる。

 「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ」で有名な詩がある。広島で被爆した詩人、峠三吉の原爆詩集『序』だ。全編をひらがなで書くことで漢字表記にした時に与えるその単語が持つ意味の固定観念をなくし、自由にイマジネーションを働かせることにつなげている。

 「かえせ」という文字は日本語でしか表現し得ないものだ。「返せ」でも「帰せ」でもなく「give back」でもない。ただただむごく、人の尊厳をも奪った行為への怒りを込めた「かえせ」なのだ。

 新聞であってもあの隣国の極悪非道な行いに対しては、文字に「怒り」を込めて表現することが必要だと私は思っている。(ひ)