こないだ、千代田区九段にあるしょうけい館に行ったのである。昭和館に行ったら、しょうけい館のパンフレットが置いてあり、すぐ近くだったから足を延ばしてみました。行ってたいと思ったのは、水木しげる氏の企画展もやっているということもあります。

 地図を頼りに行きましたが、見つけられません。この辺だけどなぁ…路地を一本入った所だったので、若干探しました。

 昭和館に比べると、こじんまりしている建物です。入館は無料です。

 水木しげる氏の人生についての展示や作品が並べられており、館内では自由に閲覧可能でしたが、写真撮影はできません。椅子もあったので、水木漫画も読めました。(懐かしいなあ)

 

 水木しげる氏といえば、太平洋戦争で南方に派兵され片腕を失って帰国しましたが、貧しい生活を余儀なくされていました。妖怪まんがという、当時では特殊な分野の漫画家だったので、なかなか売れずに苦労したということです。昔は貸し漫画屋というのがあり、そういう店向けの本にかろうじて掲載させてもらっていました。おどろおどろい画風なので、子供には人気がありましたが親うけは良くなかったので逆風もありました。

 

 ゲゲゲの鬼太郎は人気漫画になりましたが、最初は墓場の鬼太郎という内容で、かなりあくの強い妖怪まんがでした。人気に火がついたのはアニメ化ですが、鬼太郎と妖怪たちを一般受けする、少しかわいらしくユーモアあるキャラクターにしたことが良かったのかなと思います。それと、墓場の…というのをゲゲゲに変えたことも受け入れられた1つの要素かな。自分的にはテレビアニメより漫画雑誌に掲載されていた、不思議な怖い物語の方が印象に残っていて好きでした。

 

 水木氏のお話は、NHKのドラマでもいくつか取り上げられており、のんのんばあとオレとゲゲゲの女房がありました。のんのんばあは水木しげる氏が子供の頃、氏の家にお手伝いをしてくれるために来ていた実在のお婆さんで、いろいろと妖怪のお話をしてくれました。その時の経験が、後の妖怪まんがに繋がっているものと思われます。

 

 ゲゲゲの女房は、太平洋戦争時に南方の戦線で負傷して復員後、妖怪漫画家で生計を立てようとしましたが、なかなか世間に認められず極貧生活を余儀なくされていた時代のお話です。水木氏自身というより、彼の女房の視点でのお話となります。

「ここは、どこかでお聞きになって来られましたか」
「隣の昭和館でパンフレットを貰いました」
「2Fも展示室になってます、エレベーターでどうぞ」
「あ、どうも」

 2Fは、第二次大戦の資料や展示物ですが、写真撮影は不可です。1Fが、特別展の水木しげるの人生、という構成でした。1時間程度見学しましたが、閉館の時間になり退館しました。

 しょうけい館:東京都千代田区九段南1-5-13 ツカキスクエア九段下 入館無料