こないだ、JR両国駅に行ったのである。駅から出たら、なにかパンフレットを配っている年配の方がいた。
「どうぞ」
「あ、なんでしょうか?」
「観光案内所で、両国ツアーをやってます」
「どこですか?」
「こっちです」
ということで、観光案内所まで案内されました。参加費は一人500円で、ボランティアツアーガイドが2人つきます。荷物があれば、観光案内所で預かってくれる。予約優先だが、当日空いていれば参加可能です。というか、キャッチされて連れていかれた。(笑)ちなみに、満杯になることはあまりないようです。
せっかくなので参加してみることにします。一人500円だったら、せいぜい保険代くらいなもので、利益が出るとは思えません。純粋なボランティア活動なのだと思います。
その日の参加者は8人ほどです。出発前に、ワイヤレスのイヤホンを渡されました。これで、少し離れていてもガイドの話はバッチリ聞こえるのである。(これは便利です)
両国といえば、相撲の街ですよね。
「この自転車、ちょっと変わってませんか?」
「なんか、違和感あります」
「サドルが大きいでしょう」
「なるほど、お相撲さん専用なのか」
「そうです、相撲取り様ご用達の自転車屋さんがあります」
お相撲さんは、自動車の運転は禁止だそうです。なので、運転手の付かない幕下の方達は自転車で移動するんだとか。
いろいろ相撲部屋を見て廻りますが、ちょうど大相撲の時期らしく、ほとんどの部屋の扉は閉められていました。
ここは、「吉良上野介義央」(きらこうずけのすけゆしひさ)の屋敷があったところです。今は、小さな公園があるだけで、昔の面影はありません。入園は無料です。赤穂浪士が討ち入った場所かぁ。吉良さんは忠臣蔵では悪く言われているが、地元では名君であったとか。(諸説あります)
ここで首を打ち取った赤穂浪士たちは、港区高輪の泉岳寺まで首を持っていき、そこで首を洗ったといわれています。泉岳寺には、首洗いの井戸が残されていて見学ができます。
江戸城で、吉良上野介から数々のいじめを受けていた浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が辛抱たまらんで、松の廊下で吉良に切りかかった事件は有名です。五代将軍徳川綱吉は、即日浅野内匠頭に切腹を申し付けます。生類憐みの令を出し、生けとし生きるものを大切にしろとは言うものの、江戸城での事件は許しがたかったようです。
ふざけんなよということで、浅野内匠頭の家来四十七士は12月の雪の降る早朝に、吉良邸に討ち入ります。屋敷の中を探しても見つからないので焦った四十七士ですが、ついに離れの納屋に潜んでいた吉良を見つけて首をとりました。というのが、毎年年末になると放送される忠臣蔵のあらすじです。昔のお話なので、尾ひれはついているかもしれませんが、江戸の人々はこういう主君に忠誠をつくした赤穂浪士のような話が好きだったのでしょう。後世まで語り継がれることになります。
暗殺に加わった家来はというと、当然全員切腹を命じられました。泉岳寺には浅野内匠頭とともに四十七士の墓も建てられていて、自由に見学することができます。
忠臣蔵は浅野内匠頭側から見たお話なので、吉良上野介側からすれば、ちょっと違うんじゃないという意見も出るかもしれません。歴史というのは起こった事実は1つですが、見方によっては違う解釈ができます。これが、吉良上野介は名君であったという謂れかもしれません。
すぐ近くの回向院には、「鼠小僧次郎吉」(ねずみこぞうじろきち)の墓があります。江戸時代後期の、武家屋敷専門の泥棒です。(武家屋敷には金があるからな)盗んだ金は貧しい人に配ったとか、自分の遊行費や賭博につかったとか、いろいろと言われています。
最後は捕まって市中引き回しの上、磔・獄門(斬首して首をさらす)にされました。後に「盗んだ金は貧しい人に配った」というのが定説になり、義賊として称えられることにもなり、今も人気のある盗賊です。(盗賊が人気というのもどうかとは思いますが、古今東西華麗なる盗賊は人気なので、いたしかたないのかも)
そのため、勝負運や金運にあやかろうと墓石を削る人がいたようで、対策に苦慮しました。今は削ってもいい「お前立ち」が墓石の前に設置されたので、どうしても削りたい人はそれをどうぞ。勝負運も金運もないN村ですが、削るための道具もなく単に撫でてきました。隣の猫塚も気になりますが。
なんとなく楽しかったな、両国の街歩き。なぜガイドが2人つくかというと、一人が案内と説明を行います。もう一人が安全確保をしてました。車の通りも多いですからね。これで、500円はお値打ちです。
両国観光案内所:東京都墨田区両国2-19-1 両国ビューホテル1F