こないだ(2016年10月29日)、JALの工場見学に行ったのである。JALのHPから申し込むのだが、土日はおろか、平日も満員で申し込めないという人気です。しかし、しつこく毎日チェックしていたら、なんと土曜日にキャンセル発生したのを見つけたので、すかさず予約を入れました。

 浜松町からモノレールに乗って、新整備場まで行きます。この時、似た整備場で下りてはいけません。開始30分前にならないと、早くついても敷地へは入れませんというのは事前に分かっていました。しかし遅刻するといけないので、時間には余裕をもって行きました。同じように、すでに数人がゲート前でうろうろしていました。

 30分前になったら中に案内され、受付を済ませるとテンポラリーパスを首から下げて入場です。早く行くと、スカイミュージアムが、ゆったりと見学できます。

 幻の「JALコンコルド」です。コンコルド売込み時の模型だそうです。コンコルドはイギリスのBAC社とフランスのシェド・アビアシオン社などが共同開発した超音速旅客機で、ブリティシュエアウェイズとエールフランスが商用導入しました。

 

 1976年から2003年まで運行された旅客機で、唯一音速を超えるマッハ2以上で飛行できました。しかし、座席数が少ないとか燃料効率の悪さから、他の旅客機と比べると高額の運賃が必要でした。とにかく速いので、タイムイズマネーやお金持ちの人にはうってつけだったのでしょう。

 

 独特の機体だったので怪鳥コンコルドとも呼ばれました。空気抵抗を抑えた細長い機体のため、このままでは離着陸時にはパイロットの視界が確保できず、機首が上下に動くという他に例のない構造です。

 

 転機になったのは、2000年7月25日のエールフランス4590便パリ発ニューヨーク行きが、離陸滑走時にタイヤがパンクし、その一部が燃料タンクを直撃し、燃料漏れを起こしたため爆発炎上した事故です。機体はひっくり返るように墜落し、地上の人も巻き込み、乗客乗員は全員死亡しました。パンクの原因は、直前に離陸したコンチネンタル機DC-10型の部品が滑走路上に脱落し、それを踏んだコンコルドが事故なったという不運なものでした。

 

 事故後、コンコルドは対策を実施しましたが信頼回復には至らず、高額な運賃・騒音問題・燃料効率の悪さ・マッハ飛行によるオゾン層の破壊とかの問題もあり、2003年に運行を停止しました。

 

 パリでの事故が無ければ、今でもコンコルドは運行していたかといえば、難しいのではないかと思います。ジャンボジェットが終焉を迎えたように、旅客機は騒音の低減や燃料効率の向上を目指して発展してきました。コンコルドも時代のニーズに合わなくなり、いずれは消え去る運命だったのかもしれません。

 

 JALマークのコンコルドは見てみたい気もしますが、導入しなかったのは正解だと思います。

 JAL歴代の制服ですね。実際に見たものもあるし、全然知らないものもあります。

 顔はめ~、あります。

 これは、ご存じビートルズの法被(はっぴ)です。1966年6月29日にJAL412便でビートルズは羽田空港に降り立ちました。その時、タラップに姿を現したメンバーが来ていた法被です。全国放送していたので、見た方も多いのではないでしょうか。

 

 ビートルズ人気はすさまじく、特に若い女性はキャーキャー言いながら気を失うという、失神という言葉が流行りました。

 DC9-81型コックピットがあり、操縦席で自由に写真が撮れます。左が機長席なので、左側に座って撮りました。(笑)

 大きなプロジェクタの前で、子供が遊んでいました。カメラの前に立つと、その人の顔がJALスタッフの顔になるというものです。子供が去った後、N村がカメラの前に立ってみたら、画面にN村の顔が張り付いて、動き回っています。

 いかん恥ずかしすぎる。とその場を離れたのだが、一度食いついたら次の人が現れるまで、このまま動き回っているみたいな仕様です。

 わ~、誰かを身代わり地蔵にしなくては。と思ったけど、見学ツアーの始まり時間になって、誰も来ません。しくじった…

 JALメインテナンスセンター1:東京都大田区羽田空港3-5-1 

 つづく