こないだ(2016年8月13日)、はとバスツアーで富岡製糸場・碓氷峠鉄道文化むらに行ったのである。碓氷峠鉄道文化むらについては、後日ブログで紹介いたします。

 

 富岡製糸場は、1872年(明治5年)に開業し、日本の絹産業に多大な業績を残しました。日本では古くから繭から絹を作るのに、手作業による座繰法が使われていましたが、富岡製糸場では西洋の機械を導入することにより、手作業ではできない均一的かつ高品質な絹を大量生産することが可能になりました。その品質は海外にも認められ、輸出を増やすことにより富国強兵の一翼を担っていました。

 

 映画「ああ野麦峠」では、過酷な製糸工場で働く女工が描かれていますが、ここでは8時間労働で日曜日は休み、食事や風呂・医療は無料という、当時からすれば恵まれた職場でした。野麦峠の女工は、自分の身を犠牲にしてまで100円(月給)工女になるのが夢だといわれていましたが、ここでは1円くらいでした。当時、100円あれば家が建つというれていた時代なので、1円といえば良い職場であったと思われます。工場は、1987年(昭和62年)まで稼働し、その後は国の史跡に指定され保存されました。

 

 世界遺産に登録されたのは2014年で、富岡製糸工場と絹産業遺産群という範囲になります。

 観光バスは、製糸工場前まで行けないため、周辺の駐車場で下ろされることになります。そのため、周辺の地図が配られました。

「駐車場から、徒歩10分くらいかかります。余裕をもって帰ってきて下さい」
「わかりました」

 わっ、すごい人だ。世界遺産になってから、どーんと人もお土産屋も増えたそうです。国指定の史跡の時は、もっと静かでゆっくりと見学できたと思うのですが、世界遺産登録となると全国・いや全世界から見学者が殺到することになります。世界遺産に登録する場合は、決められたルールにより施設の充実をしなければならなくなります。また、遺産の保護・維持に関して継続的な改修工事が必要になるなどハードルは高いです。

 

 北海道の知床は、世界遺産登録前に行きましたが観光客は少なく、知床五湖は自由に散策できました。世界遺産登録後は、木道や建物が充実し、展望台もでき素晴らしてとは思うのですが、1湖2湖以外の深いところまで行こうとしたら、有料の(かなり高額)ガイドツアーに参加しなければならず、予約をとるのも大変になりました。個人的な見解としては、施設は大したことは無かったのですが、静かな湖畔を自由に散策できた昔の知床が懐かしいです。ただし、羆が出る可能性もあったので、熊除けすずは必須でした。現在のガイドツアーでは、情報収集から対処まですべてやってもらえます。

 バスツアーなので、入場料は団体扱になり900円です。

 入場にあたっては、ガイドさんがつきます。一人1台受信機を受け取ります。ボランティアガイドさんの声が、この受信機から聞こえる仕組みなので、少し離れていても説明が聞こえないということはありません。有難いなあ。

 たぶん、送信機は1mWくらいかな。見通し距離でも、10mも離れると声が途切れます。

 上でも書きましたが、フランス人による指導の下に作られ、経営されていた官営製紙場なので、待遇は良かったとのことです。この工場では、いわゆる「ああ、野麦峠」みたいなことは起こらなったそうです。

 今でも使えそうな、機器が保存されてます。なんと日産製の機械もあります。

 個人的には、世界遺連発みたいな感じもありますが、町の活性化にはなっているようです。バスの出発時間が決まっているので、なかなかゆっくりとは見学できませんでしたが、ガイドツアーがあったのは良かったと思います。単に機械や建物だけ見て、これが世界遺産か思っても面白くありませんからね。

 群馬県富岡市富岡1-1 有料P近郊にあり