こないだ(2016年7月31日)、お台場散策に行ったのである。船の科学館に行ったら、本館は休館中で別館と野外展示は見学できました。その時、埠頭には初代南極観測船宗谷が保存されていることが分かりました。
海の科学館で見た地図を頼りに行ったら、宗谷が係留されていました。宗谷は、1938年(昭和13年)にソ連(当時)からの発注で砕氷型貨物船として建造されましたが、第二次大戦前だったこともあり、結局ソ連には引き渡されませんでした。受注した際の、ソ連名はボロチャエベツといいます。
「一人ですか」
「はい」
「よければ、寄付を」
「では」 (気持ちを入れさせていただきました)
ソ連の砕氷型貨物船として建造されましたが、太平洋戦争時は海軍の特務艦に改修され、戦地にも赴きますが運よく生き延びます。戦後、海上保安庁が運用する砕氷艦に大改修され、南極観測の基礎を作った船です。第一次南極越冬隊で、たろ・じろを含む樺太犬を収容できず、結果的に南オングル島に置き去りにしたというのは有名な話です。
樺太犬の話は南極物語という映画にもなりましたが、実は南極に行った唯一の三毛猫「たけし」も乗船していました。たけしは珍しい雄の三毛猫で、縁起がいいということで連れていくことになりました。たけしの名前は、第一次越冬隊の永田武隊長から貰いました。南極で隊員と共に越冬したたけしは、樺太犬とは異なり、無事に日本に戻って来られました。帰国後は越冬隊員の家で暮らすことになりましたが、ある日出て行ったのを最後に消息不明となってしまいました。南極を体験したたけしにとっては、日本の家は馴染まなかったのかもしれません。
右上が、製造当時のソ連耐氷船ボロチャエベツの写真です。宗谷の原型ですね。
なんと、船内には本物の南極の氷がありました。
乗組員室です。缶ピースが懐かしいですね。昔、親(故人)が吸っていました。クラシックギターが、当時の雰囲気をかもしだしているように思います。越冬隊員は、航海中は暇なので娯楽を持ち込んだのかなと思います。船の運航を担当する海上保安庁の乗組員の方は、慣れない南極へと向かうことは大変だったと思います。南極では氷に閉じ込められ、ソ連の砕氷船オビ号に助けられたというのは有名な話です。
これは、南極に行った三毛猫のたけし君ではありませんか。
宗谷の通信室です。呼び出し符号は「JDOX」です。あれ、FM送受信機は、ICOMのトランシーバーのような気がします。(たぶん時代が違うので、後に設置したものかな)
それと、HFのトランシーバーは、TRIO(現KENWOOD)製のようです。スタンドマイクはMC-50なので、これも当時のものではないですね。もしかしたら、宗谷のアマチュア無線クラブ局があったのかもしれません。(未確認)
操舵室も見学できます。
やっぱり年代を感じますが、保存されているとは思いませんでした。しかし、歴史的に価値がある船なので、末永く保存されれはいいなと思います。
南極観測船宗谷:東京都江東区青海二丁目地先