でのお稽古でした。   お濃茶でした。

逆勝手ではありませんでした。

先週の初午の日には、初午のお話が出来ず。
この日も御茶杓に「東風」と名づけたまでは良かったのですが、「東風吹かば・・・」の後を思い出せず大恥をかきました。

飛梅までのお話を先生にして頂きました。

先生がスラスラとお話くださったことを私は調べて纏めてみました。

先ず、菅原道真 845-903
偉く頭脳明晰だったようで、学者で、文人、しかも政治家とあります。
時の天皇 第59代目の宇多天皇(67-931)の信任が厚く藤原氏を抑える為に重用されていた。
42歳の時、讃岐の国司赴任。4年後に帰国すると宇多天皇の下、昇進を重ねた。が、
894年、50歳の時、遣唐大使に任ぜられるが、廃止を提案し、受け入れられる。しかし、ライバルで権力者だった藤原時平(871-909)に失脚させられ北九州の大宰府へ左遷。
出発前に自宅の庭の梅の木を見て読んだ歌が

東風(こち)吹かばにほひをこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな

それに対し、梅は主を慕って、一夜にして京都から大宰府に飛んだというので「飛び梅」という伝説が生まれたとか・・・


しかし、この道真死後、藤原時平が39歳で急死、そのご疫病が流行り、日照りが続き、後醍醐天皇の皇太子、次の皇太子と続いて亡くなり、930年には宮廷に落雷があり死傷者多数。と続き怨霊は雷神と関連づけられた。

この荒れ狂う霊を沈めるために、947年に北野天満宮が出来た。
ついには、生前の頭のよさから学問の神様となった。
なんて、死後までもずいぶんと振り回されている方ですね。